近年、東北三県と北陸にはイノシシはほとんどいないとされてきたが、もともといなかったのではなく、明治期頃に絶滅しただけなのだそうだ。
この頃、日本各地で、部分的に絶滅が見られたという。
結果、現在の日本列島には、シカ、イノシシの存在しない山々がモザイク状に点在しているのである。
そして、絶滅したとされていた地域にも、温暖化などで、シカ、イノシシが戻りつつあるともいう。
証拠隠滅とマルタの処理
1945年8月9日のソ連軍の満州への侵攻直後、731部隊の施設建物が大量の爆薬によって破壊された。
常石敬一は、この破壊は証拠隠滅であったとする。
秦郁彦は、終戦時には、生存していた40~50人のマルタが証拠隠滅のために殺害されたと推測している。
元隊員の越定男によれば、これらのマルタは青酸ガスを噴出させて殺害するか、銃で脅しながらマルタ2人を互いに向かい合わせ、首にロープを巻き、その中央に棒を差し込んで、2人にねじらせることで殺害したという。
731部隊が証拠隠滅を急いだのはマルタだけではなかった。
1棟2階の「陳列室」をはじめ第一部各課研究班には、ホルマリン容器に入った生首、腕、胴体、脚部、各種内臓の標本が、伝染病の種類や病状ごとに計1000個ほど保存されており、これらは夜陰に乗じて松花江に投げ捨てられたという。
さらに、増産を重ねてきた各種細菌のストック、夥しい数のネズミ、数億匹のノミ、解剖記録、病理記録、細菌培養記録などは掘った穴に集められ、重油で焼却されている。その後、施設建物が大量の爆薬によって破壊された。この時の爆破の煙はハルビン市内からも見えたと言われている。
天城いのしし村
1970年にオープン。
ユニークなイノシシのショーが人気を集めた。
12年に一度、干支の亥年が来るたびに超人気となる。
ピーク時の1985年には年間40万人近くの入場者数があったが、その後の観光不況などで年々客足は減少し、2002年末に一旦閉園。
一応の入場者数があり、元の会社が買い戻し経営するもさらに客足は落ちたため2008年11月30日で完全閉園となった。
跡地は特別養護老人ホームに転用されている。
売り物は猪のサーカス。
ウリ坊の頃から仕込むらしい。すると人なれして恐るべき能力を見せるという。
イノシシは、頭もいいし、運動神経も抜群なのだそうだ。。
猪レースもあったとか。
これがドッグレースと趣が違い、なんともほっこりしたとか。
当時の入園料 大人¥700−、子供¥400−。
ところで、石川さゆりの歌で有名な伊豆の天城山周辺は猪肉が有名。
猪鍋天が軒をそろえているという。
ただ、イノシシのショーにほっこりした後で、猪の肉が食べられるだろうか??
俺は、無理かも(笑)。