1979年~80年・点景 ドアーズと邂逅 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
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最近はドヤら「バター」が来ているようだ。

こぞって、バター系スィーツを新発売しているイメージ。

中でも発酵バター。

これ、多いなぁ。

ファミマのパンも発酵バター系が続々出ていたりする。

 

バターサンドとか、バタークリーム系とか、大好きなんだけどね。

マルセイではなく、PRESS 。

 

 

ケーキのクリームといえば、やはりバタークリームなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プーチンは、スターリンの帝国主義を21世紀によみがえらせようとしているのではという意見を読んだ。

プーチンは、筋金入りの帝国主義者なのかもしれない。

軍事力で他国を侵略するのが、好きそうやしね。

それにしても、ロシアはソビエト時代から「小さく信用させて、大きく騙くらかす」のが得意ですな。

 

 

 

ブレイデイみかこ氏がこういうエピソードを話されていた。

 

台東区のホームレス避難所受け入れ拒否問題

 

2019年10月、台風19号が接近、上陸各地で河川の氾濫をはじめ、甚大な被害をもたらした

 

12日午前9時ごろ、台東区は自主避難所区立忍岡小学校にやってきた男性2人に名前や住所の記入を求め、男性に「住所がない」と言われたので「ホームレスの人は受け入れられない、ということを台東区として決定している」「区民対象ですので入れません」と断った。

 

一方、『北海道に住所がある』台東区内に住所がない)と答えたホームレスに対しては「避難所は区民が対象」として受け入れを拒否したという。
 

男性は施設の入口付近で風をしのいでいたところ、そこからも強制的に排除、別の建物の軒下でビニール傘を広げて一晩を過ごしたといい、「風が強く雨も降っていて受け入れてもらいたかった」と取材に答えた。

 

台東区では外国人旅行者や帰宅困難者のために一時滞在施設が用意されていたが、そちらへの誘導もなかったと報じられている。
 台風19号はすさまじい雨と風をもたらし、屋外にとどまることは生命の危機につながる可能性が高かった。

 

テレビでは散々、不要不急の外出を控えるよう呼びかけ、自宅で不安な時を過ごした人が大半だったろう。

しかしホームレスは締め出され、避難場所への適切な案内を受けることもできなかった。

 

生存権や基本的な人権意識に関する考えが欠落した対応となったことに、多くの批判が集まった。

 

15日になって台東区はようやく謝罪のコメントを出し、検討組織の立ち上げを明言したが、遅きに失した感は否めない。

 

こうした行政による「命の選別」は、海外で驚きをもって報じられた。

なんか釈然としないというか、不寛容で、冷たい国だな。

 

自分、日本人、税金滞納したこともありますけどね(笑)。

 

 

 

アマモ

 

最も長い和名を持つ植物は「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」=竜宮の乙姫の元結いの切り外し」。

すなわち、「アマモ」である。

 

 

アマモは水中媒種、つまり水中で受粉する種子植物。

発芽条件として、一定期間淡水にさらされる必要があるとのこと。

なので河口の遠浅の砂泥などに群生する。

 

英名 eel grassは「ウナギ草」

 

すごく貴重な生物であり、産卵場所、隠れ場所、水質浄化など、餌、生物界に多大なる貢献を果たす植物だ。

ジュゴン、白鳥の主食でもある。

 

 

アマモは1940年代まで、東京湾にも存在していたがその後消滅。

DASH!!海岸企画なんかでその復活プロジェクトを実施しているが、

事実少しずつ復活しているそうだ。

 

 

なお、海産藻類を海藻と言うのと区別するために、アマモなど草本性かつ沈水性の海産種子植物を海草と呼ぶことがある。

 

 

 

1979年~80年・点景

ドアーズと邂逅

 

この頃は連れらと新京極や四条に、何かと出かけることが多かった。

映画を見に行ったり。

「地獄の黙示録」を連れ5人で見に行ったりした。

劇中で使われていたDOORSの音楽を初めて知ったのだ。

しばらく、耳から離れなかった、{ジ・エンド」。

「ワルキューレの騎行」もしかり。あのナパームでジャングルを焼き尽くすシーンとともにワグナーの傑作であるこの曲も、しかと心に刻まれている。

 

その帰りだったか別の日だったか、安東が三条十字屋でエレキの試し引きをして見せてくれた。

衝撃だった。

アンプに直結して、ブース内で。

あれが自分の音楽人生の、実質的な始まりの瞬間だった。

 

「お互いミュージシャンになろうな。」

 

安東と自分が交わした、ささやかで無謀なあの日の約束である。