江夏の21球の翌年のオールスター「無死満塁、ピッチャー江夏」
1979年、チャーリー・マニエルを擁して球団創設以来の初優勝を果たした直後の大阪スタヂアムで行われた広島東洋カープとの日本シリーズ第7戦。
1点ビハインドの9回裏1アウト満塁で打者石渡茂にスクイズのサインを送るが、江夏豊に見破られ、三塁走者が挟殺。
その後石渡も三振に終わり、ゲームセットとなる。
有名な「江夏の21球」だ。
その翌年のことである。
西本が采配をとったオールスター第3戦、1点ビハインドの9回表無死満塁で全セのマウンドに江夏が登板した。
何という偶然。
演出かと思いきや、ガチである。
江夏は2死を取り、最後のバッターを迎える。
すでに野手をすべて使ってしまっていたため、代打で南海の投手である山内新一が、近鉄のヘルメットをかぶって登場。
が、あえなく三振。
「江夏の16球」である。
西本監督は、またも満塁で江夏に抑えられたのだ。