ロボトミー手術 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

ジャックニコルソンの映画は本当によく見た気がする。

イージーライダー、カッコーの巣の上で、シャイニング、恋愛小説家、郵便配達は二度ベルを鳴らす、最高の人生の見つけ方、バットマン、恋愛適齢期、愛の狩人、レッズ、ファイブイージーピーセス...。

 

本当にカメレオンな役者さんだと思うし、自分の型をしっかりと持っていたりする。

 

 

 

 

ひと昔前の精神病治療では、「脳を切り取る手術」、脳の前頭葉の一部を切除あるいは破壊するというロボトミー手術がごく一般的だったという。

 

このロボトミー手術は、1935年にアントニオ・デ・エガス・モーニスという神経学者が考案した療法。

興奮しやすい精神病患者や自殺癖のある鬱病患者にこの手術をおこなうと、感情がなくなり、おとなしくなるため、この手術が精神疾患に絶大な効果があるとされ、その後、20年以上にわたり世界的に大流行。

日本でも1975年までおこなわれていた。

 

この手術の開発の功績によってモーニスはノーベル賞を受賞。

 

手法としては頭蓋骨に穴をあけて長いメスで前頭葉を切る方法や、眼窩からアイスピック状の器具を打ち込み、神経繊維の切断をするといった方法がとられたという

 

しかし、1950年代に入ると、この手術の恐ろしさが徐々に明確に。ロボトミー手術を受けた患者は、知覚、知性、感情といった人間らしさが無くなっているという後遺症が次々と報告された。

 

これを受け1960年代には人権思想の高まりもあってほとんどおこなわれなくな

 

再度記述するが、日本では1942年1975年まで、行われていたという。

その間に日本でも3万人から1万人以上の人が手術を受けたと言われている。

 

日本では、このロボトミー手術を受けた患者が、同意のないまま手術をおこなった医師の家族を、復讐と称して殺害した事件ロボトミー殺人事件」もあった

 

 

 

 

 

 

この事件の犯人は母子家庭に育ったため、1945年に家計を助けようと旧制中学を中退して13歳で工場で働き始める。

家計を助けるため働きながら英語を独学勉強もしていた。ボクシングで体を鍛えもしていた。

非常に正義感の強い真面目な青年として知られていた。

 

そんな血のにじむ努力の甲斐あって、なんと20歳で米空軍OSI(諜報機関)の通訳に採用。

ところが、1951年に病気の母親のため、せっかくの通訳を退職して長野県松本市に帰郷ことに

しかし地方には英語力を生かせる職場はなく、やむを得ず土木作業員に。

そして元来の正義感の強さから手抜き工事を繰り返す建設会社社長のやり方に我慢ならなくなり、殴って抗議

その際、社長からは、金を積まれて「収めてくれ」といわれ、魔がさしたというか、貧しい経済状況から、出された口止め料をうっかりと受け取ってしまう。

 

それは社長の罠で、彼は暴行と恐喝で逮捕

金を収めることは目的ではなかったので、差し出した外道な社長のだまし討ちだった

これを会社は恐喝行為として訴え、彼刑務所収監

まるで松田優作演じる、もしくは平松伸次の漫画に出てくるヒーローのような人生である。

 

シャバに復帰後、新聞社にアメリカプロレス事情の記事の間違いを指摘したところ、スポーツライターとして抜擢。

さきがけとして活躍。

 

サラリーマンの3~4倍稼いだ彼は、その半分を母親に仕送りする。

しかし、仕送りしているにも関わらず、母親の面倒をみない妹夫婦と口論の挙げ句、器物破損で再び逮捕。

取り調べで素直に従わないからという理由で、精神鑑定にかけられ、精神病質と鑑定された挙句、精神病院に強制的に措置入院しまう。

 

屈辱的な入院生活を送る中、そこで知り合った女性がロボトミー手術を受けた後、人格がまるっきり変わってしまい、自殺するという事件に遭遇。

それに対して激しく激怒執刀医に詰め寄るも、危険人物だとしてロボトミーの一種、チングレクトミー手術を強行されてしまう。

肝臓の検査といわれて睡眠薬をうたれ、前頭葉をなし崩しに切断されたのだった。

この医師は、母親に詳しく説明せずに手術の承諾書にサインをさせたといわれている。

 

当時の精神病院では、精神病と診断した患者にはその手術を行うことで、精神病者を管理する手段に使っていた。

しかし、ロボトミー手術というのは、いったん前頭葉の一部を切断すると、もう感情や知性などは2度ともとに戻らない不可逆的な処置。

 

スポーツライターに復帰しても、以前のような仕事はできなくなってしまう

感受性の鈍化や意欲減退などでまともな記事を書けないという後遺症にさんざん悩まされた挙句、自棄になり強盗事件を起こす。

三度目の逮捕。

 

出所後はフィリピンで通訳となるものの、反政府運動に巻き込まれ国外追放。

 

帰国後、人生に希望を見いだせなくなり絶望。ロボトミー手術を行った医師に復讐することで、ロボトミー手術の恐るべき実態を世間に知らせようと決意し、医師の自宅に乗り込

 

ところが、たまたまその日は本人不在だったため、計画の口止めの意味もあって医師の家族殺害に及

そして4度目の逮捕。

 

裁判で再び精神鑑定を受け責任能力有りと判定されたものの、脳内に手術用器具が残留しているのが見つかり、脳波異常も明らかとな

 

無罪か死刑のどちらかを望が、1996年、最高裁で判決は無期懲役。

「中途半端な判決」に失望。

 

近年、服役中に体調不調により生きていても仕方がないと考え、刑務所で自殺を主張し、「自死権」とそれを認めない精神的苦痛により160万円を国に求める裁判を起こしたが、2008年2月15日、仙台地裁近藤幸康裁判官は、自死権は法的に認められていないとして請求を棄却

 

一部wikipediaより引用

 

 

ちなみに1975年日本精神神経学会では「精神外科を否定する決議」が可決されており、以後のロボトミーは行われていないことになっている。

 

 

なお、島田荘司「溺れる人魚」はこの事件を題材にした小説である。

 

 

ところで今はそうでもないけど、昔は何かにつけて義憤がひどかった。間違ったこととか、曲がったことを見るととにかく怒っていたから。

純情だったのだろうか。

で、場合によったら鉄拳制裁も辞さないという、ちょっとアレな子供だった(笑)。おそらく松田優作のイメージが強烈にこびりついていたと思う。

ただ、明らかに間違っていることおかしいこと、理不尽なことにしか怒らなかった。

そして、弱い立場の子には優しかったと思う。

 

そういう人間だったので、例えばこの手術が一般的な時代にいて、措置入院とかにされたら、かなりの確率でロボトミーされていたと思う。

確実に前頭葉切り取られていたと思う。

 

理不尽なこととかあったらやはり抗議したと思うし、暴れたりしたかな。

このロボトミー事件の人のことが、まったくの他人事とは思えないのはそういうところにある。

 

今はもうそういう、蒼い正義感もなくなったかも(笑)。

怒りとかつかれるので、極力見ないふりをしてたりする。

情けないやら、ずるがしこいやら、

汚れちまった悲しみを感じる今日この頃。