ゆきゆきて、神軍、から ヤマザキ、天皇を撃て! まで | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

五十肩だった腕の痛みがだんだんと左の二の腕、ついてはひじ、手首のあたりへと広がってきているのを感じた。

整形に行っても首のヘルニアであって、五十肩ではないといわれた。

何なのかこの痛みは。強烈に痛いわけでもないが、常時気にかかる程度というのが煩わしい。

腱鞘炎ってこういう感じだろうか。

ヘルニアでも、五十肩でも、実はないのではなかろうか。

どうも様子がおかしい。

 

がんの再発したものが、こんなところに転移しているとか、そういうことじゃないことを祈りたいな。がんって、思いがけないところに飛んでゆくそうだからね。昨年までの診断でも、肝臓にがんの芽がある可能性は否めないとのことだったし。

 

ただがん再発なら、自分的にはウエルカムOKである。

延命治療はしない。緩和オンリー。流れは一切を自然に任せる。Let it beである。

死にたくないとかそういうことじゃなく、めんどくさいのだ。延命にかかる手間も金も、すべてが。煩わしいこと限りない。

 

というのも、現在がんと「闘っている」人には大ひんしゅくを買うことを承知の上で書くが、自分的には、人生の終末が来たことは何にもまして大歓迎なのである。それ以外の何でもない。

 

心残りは多少、ある、正直。やり残してしまうことに対してもしかり。

ただもう毎月の経済的工面にきゅうきゅうして、それで疲弊し、いろいろなものをあきらめながら、納得を重ねて、こころを削り、ただ生きてゆくだけの時間なんかはは、もういらない。そんな生活を後4半世紀とか、考えただけでぞっとする。あぁ恥ずかしい。

 

そうでなくても「生きている資格も値打ちもあるのだろうか?」常にそう思いながら生きている身だ。

散るならあっという間に、誰にもこれ以上いやな思いをさせずに、ただあっさりと死にたいのである。

がん再発なら、そのための暗黙の指示と、自分はとらえることにしている。

 

ところで、病は貧困を呼ぶのだ。と、同時に貧困は病を呼び込む。つるべな関係なのかもしれない。

 

自分の貧しさは、身勝手で気まま、気まぐれな自分の選択の繰り返しの下に、結果、必然的に醸成されたものであって、それは自己責任甚だしい限りの、単なる我がままにまみれた副産物に過ぎないと思うのだ。

それを「貧困」と堂々と呼ぶのはどうなのか?厚かましくはないのか?本当の意味での貧困に、そもそも最初から選択の余地なんてないと思うからである。

だから何かよー知らんけど、申し訳ない気分でいっぱいになることがある。

 

鶴田浩二主演の「男たちの旅路で」、鶴田さんは特攻兵の生き残りを演じていたが、申し訳ない気持ちでいっぱいだと、心情を吐露する場面がある。

そうか、そういう気分なんだな。

奥崎謙三氏が著作の中で繰り返し書いていた気持ちも同じもの。生き残ったことは、申し訳ない、そう感じるものなのだなぁ。

サバイバー=罪みたく。

 

 

奥崎謙三さんの主演ドキュメンタリー「ゆきゆきて、神軍」のインパクトは依然見たときと全く変わりなかった。

 

ある意味もっとパワーアップしているのかもしれない。

 

ゆきゆきて神軍HP

 

奥崎謙三ファンサイト 神軍戦線異状なし

 

この奥崎謙三という人の存在感は昭和、平成、令和を超えてもう普遍的に圧倒的と言わざるを得ない。この映画、よく作ったと思うし、よくぞ残した。

ドキュメンタリーの手本といえるのかもしれない。カメラが回っている前で平然と暴力をふるい、「良い結果をもたらすなら暴力大歓迎。大いに行使したい」とうそぶく。当時ならまだしも、こんな時代に、すごいことである。

自分は体罰は限定的にOKである。つまり、奥崎氏と考えは、根っこでは全く同じである。良い結果をもたらす暴力は、確かにあると思うからだ。

その中にはかなりの限定条件が含まれて来るとは思うが、何からなにまで、すべて暴力はあかんというのは、自分は信じられないし、それは間違っていると思う。

ただこういう時代なので、その行使の是非は、いったん横において、ということにすぎないのだが。

 

話が変わるが、同じドキュメンタリーで「A」「A2」という映画があった。これらもドキュメンタリーとしてほんとうに良くできていたと思う。

思うが、「ゆきゆきて」の方の迫力にはどうもかなわない。あまりにも臨場感があり、迫真なので、ほんまはやらせでしょと突っ込みたくなるほどだ。

それほどの臨場感。う~んやらせじゃないでしょうね、原監督?

 

 

ところで、この映画の原作ではないのだが、重要なる関連本として「ヤマザキ、天皇を撃て!」がある。この本があったから「ゆきゆきて、神軍」はできたことに間違いはなかろう。この本もまたパンチが効いている。

ついつい深みに引き込まれた。