宅録ミュージシャン雑記  11月某日  | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

読書が大好きである。

漫画はほとんど読まない。



読書は、自分にとっては、音楽とはまた別の形で「LIFE」を彩るとても大事なアイテムだ。

読書は、いとも簡単に、色々な世界へと連れて行ってくれる。

すばらしい旅のようだ。

そして、その旅の終わりには、きちんと何らかの財産というべきものを残してくれたりもする。



それはやがて音楽のモチーフとして芽を出したり、現実世界での溢れんばかりの知的好奇心へと萌芽したり、旅行の動機として成長を遂げることさえもある。

自分の人生の最も下部に位置して、そしてしっかりと人生を支えてくれている存在なのかもしれない。



漫画はほとんど読まないと書いたが、つまりは少しは読むこともあるということだ。

最も思い出深い漫画の存在を、たった今思い浮かべたところである。


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もう随分前、まだ十代の頃、なぜか吉田秋生の漫画が実家にあり、それを何気に読み始めたことがある。

最初に読んだのは、確か『夢みる頃を過ぎても』だったと思う。

とにもかくにも、あっという間にその世界観にグイグイと引き込まれてしまい、『夢の園』、『十三夜荘奇談』、『カリフォルニア物語』を立て続けに読むに至った。

『河よりも長くゆるやかに』が、最後に読んだものだ。

その後は疎遠になっている。



この作家の作品に、何故、あんなにも引き込まれたのだろうか?

それをいまさらながらではあるが、少し考えてみた。



吉田作品全般に通ずることだが、登場人物の心理描写が絶妙だ。

見事である。

そして自己を投影することが、いとも簡単にできうるリアリティが、そこには、ある。

重ね合わせて読み勧めることが出来るということが、まずは大きな要因だったと思う。



登場人物はご多分に漏れず、何らかの問題を抱え込み、相当モンモンとしていて、そして苦悩の日々を密やかに送っている。

これは基本設定的要素でもある。

が、基本、彼らは前向きなのだ。

諦めるよりも前に、果敢にチャレンジしようとする。

結果がついてくることばかりではないのだが、この姿勢を穏やかに、かつたくましく貫徹させようと勇気を持ってトライする。



そういう彼らを本当にたくましく感じて、そしていつの間にか深く、深く共鳴するに至るのだと思う。

快く、清々しくもある。

自分もこう在りたいという姿でもあるし。



そうやってじんわりと、「結果がすべてじゃないよ」と語りかけてくれる吉田の世界が、どうしようもないほどに自己の内面を侵食してゆく。

内面をやんわりと包み包んでくれるようにである。

ある意味、癒しとなるのだと思う。

一過性の中毒的であった、十代の自分には。



さて、件の『夢みる頃を過ぎても』は、昭和52年(1977)昭和57年(1982)にかけて連載された、いわゆる連作もの。

普通の若者がつむぐ、ごくありきたりな風景で、特に事件が起こるわけでもない。

淡々とストーリーが流れてゆくだけなのだが、この平々凡々さが妙に心地良い。



この時代のこういう空気感を、こういう形で、少しでも感じてみたかったなと、いまさらながら思う。




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