川俣軍司考
1981(昭和56)年6月17日の白昼、江東区森下、「深川通り魔事件」。
いや、衝撃的画像だった。
自ら舌を噛まないようにと逮捕された時に割りばしの入ったさるぐつわを嚙まされて、ズボンや靴を履かず、白いハイソックスにBVDの白いブリーフ姿。
周囲を睨みつけながら捜査員に連行される被疑者とハレーションを起こす現場。
あれが、記憶のすべてになってしまっている。
あのなんとも言えない形のさるぐつわって。
竈門禰豆子かよ(笑)。
なんであんな格好で、大衆の面前に曝されたのだろうか?
調べると、諸説がある。
ひとつは、あれはズボンについた血痕を鑑識が調べる為に脱がせたらしい説。
もう一つは事件当時覚せい剤による精神錯乱状態で、中華料理屋の奥の部屋に建てこもっていた時、下半身裸の状態だった説。
二番目が定説だそうだ。
事件発生当時から下半身に何も身につけていなかった川俣軍司。
警察は川俣を逮捕したところをマスコミに撮影させることを前提に、最低限の下着を至急調達し、強行突破で逮捕後に速攻ブリーフを穿かせたらしい。
つまり、あれは本人のものではなかったようだ。
やたら真新しいブリーフだった謎も解ける
結果、ものすごい衝撃と笑いものになったことは有名である。
いや、曝しものというか、リンチ、公開処刑だ。
その後のこの下着に対する(悪)イメージ形成にも大きく影響下という。
踏んだり蹴ったりだ、BVD。
このブリーフをBVD性の製品だと鑑定したのは写真家の藤原新也さんである(笑)。
さて、川俣軍治、当時29歳の元寿司職人で、トラック運転手をしていたという。
この数年、覚せい剤の常用で幻覚や妄想に悩まされていたし、何度も逮捕、懲役を繰り返していた。
逮捕後の検査でも、尿からは覚醒剤の反応が出たという。
ジャンキーの乱心である。
まるでhimy71であるwww
で、この江東区森下というところ、江戸時代のはじめに、労働者が集まる街の原型が形作られ
日雇い労働者向けの簡易宿泊所が多く建ち並んでいましたそうだ。
戦後の高度経済成長期には労働者が泊まる簡易宿泊街となり、1964(昭和39)年の東京オリンピックを経て、1980年代まで、街は労働者たちで溢れていたという。
茨城県からこの街に流れてきた川俣軍司が停まっていたのは「タバコハウス」というところだったそうだ。
川俣は前日受けた面接の結果を知るために、新大橋通りにある電話ボックスへ。
しかし寿司店から不採用と告げられ逆上。
カバンの中の柳刃包丁を取り出して森下駅の方向へ向かって歩き出す。
何人かを切り殺したのちに、中華料理屋に篭城。
7時間後、突入した捜査員によって身柄を拘束され逮捕に至った。
現在も無期懲役で服役中らしい。