脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://triflingbeetle.wordpress.com/2025/09/06/trifling-beetle-official-hp/

柴田聡子さんの「いい女に変化し過ぎ」 がたまらないっす。

あの頃のあなたは、もういないんですね(笑)。

ブラボー!!


 

 

 

 

ジェニーペンはご機嫌ななめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、2010年の6月1日、理由あって高知県は四万十市という田舎に移住しました。

 

その時に、当時の日本共産党所属の市会議員からとんでもないパワハラモラハラを受けて死にそうな思いをしました。

どうもね、思考が偏向しすぎていて、反りが合わなかったんですよ。

 

それでもいやいや、話を合わせまくって、結果、とんでもないストレスで口唇ヘルペス出まくり…。

とにかく話が合わない相手を無理やり思想洗脳しようとするんですよ。

北朝鮮かよ!!

ヒトラーかよ!!

 

恫喝とか平気でやってきましたからね。

あのバカは。

 

でも今から考えると自分にも非があったなと思う。

落ち度があった。

ありました。

 

 

…やはり、パワハラモラハラはとんでもない暴力なのにかわりはないので、毅然と対処すべきでした。

なあなあで流してしまったのが最大唯一の失策。

 

移住のお世話 になったことと、パワハラモラハラでイジメ抜かれたことは、全くの別問題。

何ら脈略はない。

弱みは別問題っすからね。

そこを混同させてくる策にまんまとはまってしまった。

ハマったんです。

 

ハマ⭕️…だけに(笑)。

 

やられました。

 

 

そこの見極めができなかったことだけが自分の過ちでした。

もっとズバッと、はっきりと、やめてくれというべきでしたな。

 

日本共産党のああいう体質は、今もたっぷりと受け継がれてのこってるんでしょう。

辺野古の⭕️人事件と言って過言ではない事件を2件も起こして居直ったり。

クズクソですね~。

 

人間の仕業とは到底思えません。

過度に左巻きになるとか、思想が極端に偏ると、人としてとんでもない代物、悪魔、人非人、殺人鬼…に成り下がるんですね。

オウムと同じですね。

 

見下げた話ですな。

見下げるのもめんどくさい(笑)。

 

全く、本質同じ。

 

恐ろしい田舎でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハラキリシュート

https://www.roman-blog.com/animation/%E3%80%8C%E4%BE%8D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%84%E3%80%8D%EF%BD%9E1971-1974-%E5%AE%9F%E3%81%AF%E6%A2%B6%E5%8E%9F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%EF%BC%81%E7%A0%B4%E5%A4%A9

 

 

 

 侍ジャイアンツという漫画がありました。

これはテレビアニメ版とジャンプ連載版との内容の乖離が激しすぎて、超絶気持ち悪かった。

方やハッピーエンド、方やバッドエンド。

多分、巨人がリアルでV10を逃したということが1番こういう乖離を産んだ要因だというのが定説です。

つまり、テレビ版はV10が絶望になる前に、無事(笑)終わりました。

V9を達成して、最後はワールドシリーズを制して来日したアスレチックスとの死闘。

ちなみにその四番はレジー・ジャクソンをモデルにしたであろう「ジャックス」(笑)。

まぁ無事ハッピーエンドで終わり。

 

それにより連載版も終了決定の運び。

 

ただ、こちらはTV版と1年のタイムラグがあり、現実では長島の引退が現実味を帯び、そしてどうやら中日が優勝しそうだという修羅場。

 

全てが泡になる前に、何が何でも無理やり早急に終わらせねば…というオトナの事情が働いたんでしょう。

結局、TV版放送の2日後の月曜日、何とも言えない終わり方で連載版も無理くり終了。

 

結果、何故か中日とのデッドヒートを制してV10は何故か、無事に達成されるものの、番場蛮が分身魔球の投げ過ぎで心臓麻痺でマウンドで死ぬという…(笑)。

 

えっ!?

 

 

ちなみに最後の打者は大砲万作でした。

 

 

 

 

あり得ない終わり方。

 

もういきなり突如終わった(笑)。

 

TV版では難なく投げてたけど、連載版での分身魔球は魔の魔球。

 

で、それを投げる前の一つ前の魔球がハラキリシュート。

左投手が投げるカミソリシュートですね~。

鋭角に曲がり、少し落ち気味なのでカミソリスクリューとも言えます。

 

が、

 

 

大回転とか、ハイジャンプとかに比べたら

かなり地味。

 玄人好みっす。

 

 ってか、あのくらいのシュートはリアルで結構投げてた気がします。

 

 

このハラキリシュートは色んなライバルに次々に攻略されそうになるが、その都度、打開策を見つけて切り抜ける。

中には広島の衣笠による二段打ち、阪神の太刀風の介錯人殺し(放棄試合、振り逃げ狙い)なんてのもあった。

 

オールスター戦の檜舞台で、南海(現・ソフトバンク)の野村克也により魔球・ハラキリシュートの欠点を暴かれた番場は二軍に落とされてしまう。しかし、彼に挫折している時間はない。10連覇をかけた74年のペナントレースは、もはや一つの負けも許されない緊急事態だ。先輩・八幡太郎平の協力のもと、新魔球・分身魔球を引っさげ再びマウンドに返り咲いた番場は巨人勝ち星の切り札として大車輪の活躍を続けていく。そしてリーグ優勝が中日との一騎打ちで争われる様相となった天王山の三連戦で、意外きわまるショッキングな結末を迎える。第一戦を完投勝利、二戦は5回からリリーフで勝利。そして運命の第三戦は7回からのリリーフ登板で、最後の打者・大砲万作9を三振に打ち取った。しかしその時。魔球の多投により体力の限界を超えたため心臓麻痺を起こした番場はマウンド上で絶命する。

 最終回が掲載されたのが74年42号。発売は9月17日火曜だから、アニメの最終回の2日後になる。この時点の巨人はまだV10達成の可能性はゼロではなかった。しかし、連載終了が決まり、“番場の死”という形でマンガの幕を下ろした梶原の真意はどこにあったのか?確かに結末は唐突だが、番場蛮というキャラクターには連載当初から常に“死”の影が見え隠れしていた。自ら望んで得た背番号4(=死)はサムライの心構えを記した『葉隠』にある一節「武士道とは死ぬこととと見つけたり」の教えに由来しており、「男が“死”をしょってなくて何ができるってこと!」「死にっぱなしにゃならねぇ…死んで生きるのがまことのサムライ!」「サムライはおのれをしるもののために死す!」などと公言している。さらにはハイジャンプ魔球の危機に際しては、身体を張った命がけの対抗策で乗り越える。そんな行動に川上監督も「番場はいずれマウンドで死ぬかもしれん…」と予感していた。主君が滅びる時に、忠義を尽くし命運を共にするのが武士の習わしならば、巨人が王座から陥落せんとするその最後の一瞬まで勝利を信じ、命を張って支え続けるその先には“死”という結末しかなかったのだろう。

 

V9の時代と巨人マンガの終焉

 奇しくも65年に始まり、昭和40年男の成長とリンクするV9時代は『巨人の星』に代表される巨人マンガというジャンルに活気があふれていた。目指す偉大な目標として、または打倒すべき敵として巨人は存在し、魔球を操る主人公が個性的なライバルたちと死闘を続け成長してゆくマンガが少年誌にいくつも連載されていた。『侍ジャイアンツ』は巨人マンガが活気のあった時代の最後の作品といえる。次世代のための新しい戦力として入団したはずの番場が、翌年監督となる長嶋のもとで活躍することなく物語が終わってしまったのは残念でならない。

 巨人との独占契約が続いた週刊少年ジャンプ誌上には連載終了の翌週から『炎の巨人』(※1)が連載開始。以降『悪たれ巨人』(※2)『スーパー巨人』(※3)と続くが、あの頃のような人気を得ることは叶わなかった。『侍ジャイアンツ』の完結、それは巨人のひとつの時代の終焉でもあり、巨人マンガというジャンルの終焉でもあったのかもしれない。(完)

 

最後はオールスターでのバントの構えからの振り逃げ作戦。

結局、決定的に打たれての攻略はされないまま何となく終了。

 

連載版での第4、そして最後の魔球…分身魔球へとなだれ込みます。

そして酷使による自滅。

 

 ところで、侍ジャイアンツが連載されていた少年ジャンプは読者投票第一主義のため、人気低下が10週続いたら容赦なく打ち切られてしまうという鬼のような雑誌だったそうです。
 
怖いですね~。
 
で、話はそれるが、侍ジャイアンツが再放送されない訳の一つに
 
「セリフのキツさ」がある。
 
 
 
「エビ投げハイジャンプ投法」のヒントを見つけた放送回の時など
 
入院している病院の院長のことを番場は
 
「こんなキOOイじじいのところから出してくれ。」というセリフに対し
 
川上監督は
 
「先生のことをじじいとは何事だっ!!」
 
 
 
え???そっち???(笑)
 
怒るポイントが「じじい」の方なの????(苦笑)
 
 
 
 

 
 

 

 まいちゅん♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



ハラール醤油なんていらねー

 

 ムスリムに配慮してのハラール醤油というブツがあるそうです。

まあ、当然、食べれない食材があるためにそういう配慮も必要です。

良いことですね。

個人で購入すればいいだけのことですね。


ただ、すべての飲食店でそれを常備して、ムスリムの客が来たときには配慮してそれを使う…なんかはやり過ぎ。


いらないよそんな事。


海外に行ってキッコーマン醤油を置いてない飲食店はかなり多いと思いますが、それと同じですね。



行き過ぎた配慮は自らの首を絞める気がするので、やめたほうが賢明。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮舫さんの言い方がとてもいや

 

とにかく、この「中国人」の言い方が本当に鼻につく。

やばいよなコイツ。

二重国籍か、3重か知らんけど。


コイツの言ってること本当に嫌い。


まともに聞こえません。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池波志乃の本名

 

高校を中退、俳優小劇場養成所入所を経て新国劇に入団。

「池波志乃」という芸名は新国劇の研究生当時に父馬生が名づけ、新国劇の座付作家でもあった池波正太郎の許可を得たものである

大竹まことや風間杜夫と同時期に俳優小劇場の養成所に所属しており、彼らには妹のようにかわいがってもらった。

彼らが養成所を辞める時に一緒に辞めようとしたが、「お前は残れ」と説得され養成所に残った。

女優としての活動は、1974年の映画『沖田総司』や、NHK連続テレビ小説『鳩子の海』から本格化。

妖艶で日本的、しかも婀娜(あだ)な色っぽさと品格のよさを同時に押し出せる得がたい女優で主に脇役として芝居を引き締める演技・役どころをこなした。

1978年に中尾彬と結婚。

 

本名かと、ずっと思っていたわけで(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 ハウンドドッグのライブに行ったのは大阪フェスティバルホールが最初でしたが、2回目はノックミートゥナイトと言う12インチを発表して間もない京都会館第1ホールでした。


なんかね、登り調子で「来てる」感じでした。


それまであんなに頑張っても、武道館に一万人集めても、売れなかったバンドが上昇気流に確実に乗ったなと言う実感でいっぱいでした。

 

 

 

 

あの日のブラッシュ・ボーイ


で、その京都会館のライブは4月。

それに合わせて「ブラッシュ・ボーイ」と言う、「ドリーマー」の2つ前、「狼と踊れ」の一つ前のレコードを購入。

たっぷりと聞き込みました。


で、偶然でしたが、このアルバムから何曲もやってくれたんですよね~!! 

大阪フェスティバルホールの時は「ドリーマー」からのセットリストが多かったんだけど、この日は違った。


しかし、新メンバーはやはり音楽的にすごいわ。


良くも悪くも仙台の田舎モンロックンロールバンド色が濃かったのに、この頃から急激に都会的なスマート・クール・ロックバンドへと大変貌してゆく感じ。

もうあの日の田舎臭いブラッシュ・ボーイの面影は跡形もなく失せていくんですよね。

 

いやいや、今でもトップの「ラスト・ヒーロー」を聴くとあの頃を思い出しますな。

 人生で1番よく聞いた曲かも知れない。


 

 

 

 

 

 

 

 旧メンバーの絶好調な頃の作品を、新メンバーが違和感なく再現してました。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本刀で襲撃...って(笑)。

 

 

1984年06月18日 (昭59)

大分県津久見市の県立津久見高校で、4日前に退学した無職(18)が侵入し、野球部監督(25)に日本刀で斬りつけ両足に2ヶ月の重傷を負わせて殺人未遂で逮捕された。名門野球部の主力選手だったが、素行が悪く退部させられ退学した。「野球部に復帰できなくなったのはお前のせいだ」「俺たちは将棋の駒のように動かされていた」などと叫びながら、他の教師の眼の前での犯行。

 

小島監督ではなく、その後の田中監督さんでしょうか?襲撃を受けたのは。

 

この年の秋、津久見は県大会地区大会を勝ち抜いて翌年1985年センバツにでることとなっています。

なので、そう、その前年の話なんですね。

今じゃコンプラ的にアウトな感じですが。


このときのチームは1985年夏にも出て、KKのPLと結構いい試合してました。

 

ちなみにその1984年夏は準々決勝で敗退しています。

大分県 夏の予選 1984年(昭59年) 準々決勝以降の試合

 

 

優勝は別府商。

 

 

 

 

 

さて1985年にセンバツにでたチームだが、これが開幕戦で東洋大姫路と激突。

 

下馬評は圧倒的に東洋有利。

 

だが、津久見の主砲上島格は前年秋、17本のホームランを打っていた。

 

あと、2番の吉田は捕手。

これが今流行りの攻撃的な2番で、当時は画期的。

先を行ってた。

東洋大姫路も油断は禁物と、十二分に心得ていたはず。

 

 

さてさて、一方、東洋大姫路は優勝候補の一角。

前年秋の大会決勝でPLを完封したアンダースロー豊田が健在。

捕手から野球をスタートさせて、東洋大姫路には内野手で入学、上からも横からも下からも正確なスローイングをするサードに目をつけた監督が投手に抜擢したという。

これが花開いたのだ。

 

後にオリックス入りする。

オリックス(阪急)は伝統的にアンダースローが好きみたいだ(笑)。

 

 

 

 

 上島と豊田。

この二人の対決は見ごたえあった。

 

兎にも角にも、優勝候補が初日に消えるという大番狂わせだが、でも津久見は九州大会準決勝敗退ながら、相当底力のあるチームだったと思う。

 

鹿児島商工、東海大五に次ぐ三番目に選抜されてはいたがね。

ちなみにあと一校は東筑。

地域性は問われなかったんだね、この年は。

 

 

 夏に桑田と対決した上島は苦もなくひねられていた。

役者は、少し違ったんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

「寒い」夏1986

 

 この年の始まりはなんかぱっとしなかったんですが、当時とても好きだったけど、微妙な距離感だった彼女から、思いがけずバレンタインのチョコをもらったりして、それなりになんかウキウキはしてました。

理由あって前の年の9月に距離を置いたんです。

で、つかず離れずな感じで。

 

結局その人と、その後もう一度何となくやり直すんですけど。 

で、4月、最後のデートをしました。

その時は、これが最後、とはつゆほども思ってなかったんだけど。

ちょうどチェルノブイリ事故が起こった日でした。

結果的に、あれが最後になりましたな。

 

その後は電話でも繋がりにくくなったり、手紙を書いても返事が来なかったり、何となくあれが最後だったんだな、フラッグは立てられてたんだなと、その時に初めて気が付きました。

2ヶ月以上かかって…

鈍いっす。

 

そういうことかとやっとわかったのは、そういうわけで6月の梅雨のさなかでした。

なだらかな絶望というか、何となく死にたいな…みたいな変な気分に絡まれることが多かったです。

 

今から思えばすでに鬱だったんだろうな。

 

あんなに好きだったのに、なんかもうどうでもいいかモードに入ってました。

 

そんな6月の鬱蒼とした空気感の中、割とがっつりとアレンジの勉強をしてました。

 

が、まぁ、壁は高い(笑)。

 

楽典、ジャズ理論系の本なんかも読み込んだけど、なんのことやら…でした。

とりあえずその頃、バンドスコアタイプな楽譜をちゃんと書きたかったのと、キーボード系のコードをちゃんと覚えてみたくて、何となく楽器屋に行って買ったのがこれ。

 

ピアノコードブック

 

未だに重宝しております。

 

買った当初は

 

Bm7とD6のボイシングがおんなじやん!

 

…なんて無邪気に喜んでました(笑)。

 

 あとdimの4つフォームを覚えましたね。

 

この4つ覚えたらすべてのdimコードに使い回せられるとか。

 

いろんな発見が多かったです。

 

 

 

 

 ギターコードダイヤグラムの方は多分、1982年頃にGibsonのレスポール型のなんちゃってエレキを買った時についでに買った本です。

これもまた未だに現役。

 

なかなかレアな押さえ方が書いてあるんですよね。

宝物です。

 

 

 この6月、テレビで「ダイヤモンドは傷つかない」という田中美佐子、山崎努主演映画を観ました。

同じ頃、「スローなブギにしてくれ」もやってました。この2つの映画は映画館じゃなくテレビで初見です。

 スローなブギにしてくれの山崎努の乗るムスタングがメッチャかっこよかった。

 

三石由起子さんの原作も読んだよな。

 

 

 

 

 
 

 
 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 まいちゅん♡

 

 

 

 

 

 

このMVの主役は蒔田彩珠じゃないですか!!!!

 

2012年『ゴーイング マイ ホーム』で阿部寛の娘役以降、『海よりもまだ深く』、『三度目の殺人』、『万引き家族』「是枝作品」常連となる

何といっても2018年、映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』で南沙良とともにダブル主演を務め、映画初主演。

音痴の歌唄いガール役が絶妙だった。

いい俳優です。

 

 

 

 

 

ゴキブリを食う・TVジョッキーにて

 

 割と有名な都市伝説なんやけど、死んだ…というくだりは嘘だそうです。


なんかで見たけど、普通にゴキブリを食べる国あったよな。

どこだったか?


それに加えて昆虫食ブームに囚われて食べるヤツまでいましたな。


雑菌まみれだからやめたほうが良さそう。


それはさておき、確かにテレビジョッキーは過激でした。

たけしの熱湯風呂もこの流れですよね。


ま、今ならコンプライアンスでがんじがらめにされて、放送中止どころか完全御蔵入りですね~。


覚えているのは、ご飯に金魚を乗せて、そこにお茶をかけて食べるオジサンとか、目にワサビを塗り込む兄ちゃんとか。

背中にギターを担いでノールックで速弾きする人とか(後にプロギタリストになりましたね)もいた。

頭突きでコンクリートに釘を打ち込むやつもいた。


で、体を張って、挙句、白いギターがもらえるんでしたか。

そこまでしてまで手に入れたいものなんだろうかな(笑)。


俺は要らない。

Gibsonのジャンボとかエピフォン、マーチンとかなら欲しい〜けど…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


次戦、チュニジアの背番号10 ハンニバルだって!!


怖そう… 


今回のチュニジアチームは以前の「カルタゴの鷹」を久々に具現している空気感あるね!


2002年に長居で日本に完敗したあのチームとは違うぞ!



たけど、スウェーデンに5-1かよ(笑)。


どんなチームやねん。

油断大敵やけどね。

 

 

 

 

 

 

梅雨空の中、音羽池で錦鯉を釣ろうとする

 

受験勉強のストレスか、いや、クラス、二年次からの仲のいい友達が一人もいないことが苦痛だったのか。

あのクラスの雰囲気。

二年までのどこかおおらかな感じではなく、まさに管理社会的なあのムードについていけてなかったんだろうな。

 

 ついつい暇つぶしに、梅雨の小雨降る中、チャリに乗って小栗栖の野池になんかを釣りに行った。

ザリガニ位しか釣れんやろという感じの林の裾の小さい野池をルアーで回るという。

ほんまに暇つぶしだったんだろう。


で、何にも釣れない(当然)ので業を煮やして、ついに錦鯉の養殖してあるかなり大きい溜池に侵入。

有刺鉄線が貼りまくってあって、そこは小学校時代、写生大会の会場だった。

なので錦鯉がうようよいてるのを知っていたのだ。


で、侵入して第1投を放り込んだ途端、向こうの道を軽トラが走っていくのが目に入った。

その運転者がこちらを何度も確認しながら急停車。

瞬間、ヤバ…と察知した。


そうやって現行犯としてその養鯉池の持ち主にまんまと獲捕。


この池の持ち主の倅である野間には、捕まえて速攻「お前、中学と友達を言え」って言われた。

要するに共犯者を言えと言われたんだけど、咄嗟に、2年の時の友達の名前をずらずらと言った。

共犯なんていないけどな。

友達を言えって間抜けな質問だな、しかし…。

普通共犯者を家みたいにいうだろうに。

交友関係調査じゃあるまいし(笑)。


「ちょっと待て!いっぺんに言われてもわからん!!

書き取るから順々に言え」

…と言われた。


コイツはアタマが悪いんだなと咄嗟に察知。

IQ80くらいかな?


当時のヤンキー定番のアイパーかパンチの伸びたやつみたいな頭に口髭。眼光は鋭く目つき悪い。

白のタンクトップにプレイボーイのマークの入った、女物の紫と黒のツートンサンダル。

どこからどう見ても勉強できそうにはない。


で、中学の先輩だという。


中卒か?


で、後日、中学に行くからなと言われてなんとか解放された。

で、親に連絡があったのかな?

多分そうだったと思う、ごっつ怒られた。



 いや、翌日の昼間に、ホンマに野間が職員室に来ていた。

当然呼び出された。

昼間から、ね(笑)…。


うちの商品の鯉がやたら釣り針を付けて泳いでたから警戒していたんやと、偉そうにふんぞり返って職員の椅子に腰掛けて、しかもヤンキー仲間の連れみたいなんまで同伴させて高飛車な演説会。

職員室の雰囲気は何ともビミョ~。

一人で来れないのか?ヘタレめ。

ってか、お呼びでない空気感…読めねーか?


内心、超絶バカにしていた。


そして一応そこは頭を下げて、共犯はいない、一匹も釣ってないし、初犯だと淡々と説明。


それ以上のツッコミはなかった。



その日の帰りの会で担任からその事を吊るし上げられて大恥をかいた。


しゃーない。

 

 


 野間養鯉店跡地…駐車場だね。
もう何十年も前に廃業したようだ。
俺が東京に行ってた頃かな?

もうちょっと頑張って事業してたら、中国人相手に大儲けだったのかもしれない。
残念ですな。

 

さて、1980年の後日談。

職員室に野間倅が乗り込んできた後日、野間養鯉店に特級酒をもってオヤジと謝罪に行く。

横浜銀蝿がグラサン取ったみたいな間抜けな野間が、メッシュのタンクトップ一枚で仕事をしていた(笑)。

当時のイナカモン丸出しなヤンキーファッション、何とかしてくれないか(笑)??


で、俺のオヤジを見るなり萎縮したのか?

頭を下げてやんの。

場違いな人が来てビビったんだろうな。


オヤジの渡した特級酒を頭を下げて恐縮しながら両手で受け取った銀蝿野郎。


猫の前のネズミみたいな。


ダサかったね。

 

 俺がやったことは本当にバカでしたが、相手も相当なバカのバッタもんだったという感じ。


もう少しちゃんと勉強しな。

そう言いたかったよ。

 

 

 
 

「全く謝罪しないのはおかしい」「この場で謝る必要はない」とネットでは賛否両論。あのちゃん、騒動後初の公の場に登場