夏目漱石の作品読んだことある?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
アメブロでは、いつも「今日は○○の日」を紹介して、
それに関連して、何かしらブログネタになるお題を出してくれています。
今日の場合は、「2月21日は漱石の日」
そして、「漱石の作品読んだことある?」とお題を出してくれています。
しかしながら、何故「今日は○○の日」なのか、
その由来は何なのか、いつも書いてくれませんね。
で、私は、その由来に興味がある場合は、
「今日は何の日、毎日が記念日」というサイトで調べてみます。
 
今日もその由来を知りたかったので、調べてみると、
とても興味深い「由来」が書いてありました。
次のようなものでした。
 
 漱石の日

 1911(明治44)年のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると

 伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退した。

 

いいですね~、流石です。

人間という存在の、美しさや醜さ、賢さや愚かさ、尊さや滑稽さ、等々、

人間の本質を見抜く目を持っていて、尚且つ、人間を愛すべき存在として、それらをいろんなストーリ―で描いて見せるのが作家というものでしょう。

そういう作家・夏目漱石にとっては、博士号とか、肩書などというものこそ、

人間の、或いは人間社会の、滑稽さの一つくらいにしか思えなかったのでしょう。

 

というわけで、

アメブロさんも、折角、「今日は漱石の日」という興味深い記念日を

教えてくれたのだから、その由来まで紹介してくれたら、

そのこと自体が、よい「お題」提供になったのに、惜しいことでした。

 

2月21日、「夏目漱石の日」に

そんなことを感じた朝でした。

 

幼稚園の終わり頃から私が習い始めたバイオリンの先生は、

バイオリンの指導はとても熱心で厳しかったけれど、

練習を離れると、先生のご家族ぐるみで、とても可愛がってくれました。

 

多分、小学1~2年生の頃だったと思いますが、先生が、

「シゲちゃん(僕のこと💦)、今度、ウチに泊まりにおいで。そうだ、次の練習の時、泊まっていきなさい。ね、お母さん、いいでしょう?」

 

その当時、先生のお宅は、バスに10分ほど乗って、次に西鉄電車で3駅ほど行ったところにあり、練習には、母がいつも同行して連れて行ってくれていたのです。

母が、「それはありがとうございます。よかったね。」と快諾したのはもちろんでした。

その当時は、友達でも、親戚でも、「こんどウチに泊まりにおいで!」というのが、

親しい人へのもてなしと言うか、親愛の情の示し方でもあったのですね。

 

で、問題はその、次の練習日です。

練習が終わったら、母だけ帰って私は先生宅にお泊りの日です。

この日も、母と一緒に、バスと電車を乗り継いで、先生のお宅に行って、

まずはバイオリンの練習です。

いつものように、先生は熱心に、「その音が低い!」とか「もっと大きく弓を使って!」などと教えてくれていたのですが、何故か、バイオリンを弾きながら、私の目に涙が滲んできて、そしてポトリと涙を流したのです。

先生は驚いて、「おやおや、涙が出てるよ、シゲちゃんどうしたの?」と言われたので、私は、弾くのを止めて、ポツリと、

「今日、泊まりたくない。」と言ったのです。

 

いやはや、まったく、気の小さな、寂しがり屋のシゲちゃんだったんだね~。

先生は大笑いで、「な~んだ、それを心配してたのかい、いいんだよ、別に今日は泊まらなくても、ね、お母さん、また今度にしましょう。」

母も「あら、どうも今日は元気が無いと思ってたのですよ。すみませんね~」と恐縮しきりでした。

 

と、まあ、私がいかに寂しがり屋で、繊細な子供だったかというエピソードでした。今、思い出しても、胸キュンのエピソードです。💦

 

ところがね、驚くことに、あれから70年も経った今でも、寂しがり屋で、繊細な爺さんなんですね~。(笑)

 

今日は、バイオリンを眺めていて、フッとそんなことを思い出していたという、

「繊細なシゲちゃん、泊まりたくない!」の一席でした。(^^;)

 

今日は、思いがけずN響の定期のチケットいただいたものですから、

何十年振りかで、生のN響をサントリーホールで聴いて、

先ほど、帰ってきたところです。

午後7時の開演で、午後9時近くまであったので、

帰りも遅くなりました。

 

やはり、音楽は生ですね~。

音の波動が全身に迫ってくる感じは、

電波を通してでは絶対に感じられないものだと、つくづく再認識しました。

 

中でも、モーツァルトの交響曲第25番を生で初めて聴いたものですから、

感動、感動でした。

モーツァルトの頭に、いや全身に、このような音楽が沸き上がってきたのだなと思うと、本当に凄い!そして、この曲を初めて聴いた当時の人達は、どんなに驚いたことだろうと思いました。

この曲は、モーツァルトを描いた映画、「アマデウス」の最初にいきなり流れて来る

あの劇的な曲です。

 

その他に、エマ・ニコロフスカというメゾソプラノの方の歌もありましたが、

これまた、ソフトでまろやかな声ながら、力強さももあって、素晴らしい!

一人の人の歌唱が、オーケストラ全体の音に負けないのですから、

人間の声の素晴らしさにも感動でした。

 

やはり、音楽は、生以上のものはありませんね。

それを改めて痛感した一夜だったということをご報告して、

本日の生存確認ブログとさせていただきます。(笑)

 

何とか今日中に書けました。(^^;)

おやすみなさい。

 

ここのところ、ブログに向かうことが少なく、

ご無沙汰しておりますが、元気でおります。

 

ブロ友から、「ブログは安否確認の意味もあるのだから」と言われ、

それは失礼しました、一言でも書かねば、と思った次第であります。(^^;)

 

年が明けてから、盆と正月が一緒に来たような多忙な日々でした。

(正月は間違いなく来たわけですが、盆まで、、汗)

お蔭さまで、仕事もそこそこ忙しかったり、

バイオリンの会に向けて、リスタの練習に力が入ってきたり、

孫娘が休暇を終えて、またNZに帰ったり、

仕事上で長年お付き合いのあった美術家の方の訃報があったり、

久しぶりに九州の兄夫婦が上京して会ったり、

その間、私が乗る電車乗る電車、遅延や臨時停車で缶詰になったり(ヤレヤレ)

等々、でした。

 

というわけで、これからも、ブログも飛び飛びになるかもしれませんが、

とりあえず、元気でおりますので、安否のご心配いただいた方も、

どうぞよろしく。(^^;)

 

「いいかな日本語」の氾濫、凄まじい。

老若男女を問わず、~かな、~かな、~かな、のオンパレード。

 

もっと~してくれたらいいかな、と思うんですけどね~。

早く救助してくれたらいいかな、と。

~~してくれたら、うれしいかな、と。

それは、ちょっと悲しいかな、と。

行政がもっと考えてくれたら、ありがたいかな、と。

~すべきかな、とは思います。

それはいけないのじゃないかな、とは思います。

それはちょっと許せないかな、というふうに思います。

もっと仲良くしてくれたらいいかな、とは思いますけどね。

 

もうキリがないので、これくらいにしようと思いますが、

でも、連日、朝昼晩、いいかな日本語が、目につき、耳につき、鼻につき、

うんざりなのであります。

 

もともと日本人は、「Yes, No, をはっきり言わない」とは言われてきましたが、

ここまで、すべてが希望的観測、あいまいな気持ち表現、断定的に言わない、

自分の気持ちさえ控えめに言うとは、いつからこんなことになってしまったのか。

 

特に驚いたのは、弁護士が見解を求められて、「~じゃないのかな、と思います」

と言ったり、

政治家が、「~すべきかなとは思います」と言うのを聞いた時です。

判断や信念を述べるべき人達でも。「~かな」ですからね、げんなりです。

先日は、マイクを向けられた小学生までが、「~した方がいいかなと思います」などと言ってましたよ。子供らしくないですね~。

 

何ごとにも謙虚で、控えめな日本人の特質の表れかもしれませんが、

少し度が過ぎていて、聞くたびに欲求不満になるのです。

 

以上、言いたいことを書いて、少し欲求不満解消になりました。

やはり、ストレスは腹に溜めないで、時々、発散しないと、ですね。

(以前にもブログに書いたことがありまして、、、)

 

興味のない方には、私のストレス解消を読んでいただいて、

失礼しました。(^^;)

ありがとうございました。