最近、つくづく思います。
人類は、実に小賢しい悪知恵を、、いや、失礼、
人類は、神秘的な程の精神性と、恐るべき思考能力を獲得したおかげで、
本当に素晴らしい文明の花を咲かせたことは間違いないが、もはや、少し行き過ぎではないかと。
昔、佐藤栄作首相が、よく「現代の科学技術の発展は素晴らしく、、、」と言っていたのを思い出します。
たしかに私も、ちょうど高度成長期にあって、次々と登場する文明の利器に心躍らせていたと思う。
「夢の超特急」と言われた新幹線が開業し、誰もが、当たり前に飛行機で旅行するようになり、各家庭には、テレビや洗濯機やエアコンが普及し、今や、パソコンやスマホが一人一台当たり前になった。
戦争するのにも、戦闘機に人は乗らなくなり、ドローンが爆弾積んで、戦ってくれる。
そして最近ついに、月に重要鉱物があるかもしれない、ということで、宇宙開発競争が始まる、などと言っている。
文明の発展も、もういい加減にした方がいいのではないか、
新幹線があるのに、さらに速いリニアモーターカーなんて、もういらないじゃないか。
私など、小学生の時、夜行寝台列車で博多から東京まで、一晩がかりで上京したことを懐かしく思い出します。
まだ列車の窓が開く時代、窓から弁当を買えたのを懐かしく楽しく思い出す。あれで良かったではないか。
お月さんまで行って、資源獲得競争とは、何ごとですか。
あの晴れた夜空に、美しく輝く満月のお月さんを見ては、ウサギさんが餅つきをしている、とか、かぐや姫が馬車に乗って帰っていく、とか、メルヘンですね~、それでいいじゃないか。
金色夜叉の貫一がお宮に行った名台詞、、
「来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、」
お月さんは、そうやって眺めるだけで充分でしょう。
家事も、便利な電化製品が揃って、昔に比べたら、主婦の仕事は格段に楽になったでしょう。
でもね、私の子供心に残る母の姿は、割烹着を着て、大家族の為にいつも忙しく台所で料理に奮闘していた母の姿なのです。大変だっただろうけれど、本当に愛し、尊敬すべき母の姿だったと思い出すのです。
中世のルネッサンスの頃、音楽や芸術の花開いた時代、これが、人間の歴史の中で、文明も、文化も、精神も、もっとも爛熟した時代だったのではないか。
何も科学技術が発展するほど、良き時代になるかと言えば、到底そうは思えない。
悪知恵に長けた人類は、必ずその文明の利器を軍事転用したり、国際詐欺に使ったり、悪事も高度になって行く。
私の青春時代の光と影の街、渋谷。
垢ぬけた青山通り側とは反対に、どこか猥雑な香りもあった道玄坂の裏道界隈。
人間は何のために生きるのか、如何に生くべきなのか、生きる価値はどこにあるのか、などと、青年特有の迷い道に喘いでいた頃に彷徨った街だったので、渋谷は特別な感慨を持つ街だったのです。
それが今や、もう何年も前から、百年に一度の大改修とやらで、街も駅も工事現場そのものの連続です。
それがまだ、あと10年も続くらしい。私の街、渋谷は完全に崩壊、消滅しつつあります。
駅前も、改札も、ホームも、見上げるビルも、潜る地下も、すべて工事現場そのものの中を歩かなければならない。
今、最も行きたくない駅になってしまった、かつての私の街、渋谷なのです。
私は、高層ビルも嫌い、出来れば飛行機もあまり乗りたくない。
ましてや、超近代兵器や、大量殺戮兵器や、無人機で戦争しているなどという話は聞きたくもない。
戦いなど、昔、「や~や~我こそは、」などと大音声で怒鳴って刀や竹やりで戦ったくらいでよろしい。(笑)
いずれにしても、文明の進歩は人類の大きな進歩には違いないが、もはや、少し行き過ぎたのではないか。
今以上に科学技術が進歩すればするほど、人間は怠惰になり、精神文化は後退するのではないか。
そう思えてならない、77歳翁であります。
それとも、単なる懐古趣味の老人になったということでしょうかね~。