ソレは200年前に遡るお話です
そして今なお続くお話でもあります。
おそらく フェルマーの最終定理より難しいのではないのでしょうか?
19世紀始め、リカードという経済学者がいました。
早い話「各国が一番得意な産業に特化して、生産物を貿易すれば、生産が増える」という話。
現在では国際分業体制なんていいます。
が、噛み付いた人物がいました
リストというドイツ寄りの経済学者です。
つまり「各国が得意な産業に特化すれば、農業国は工業にアプローチできないから、農業の生産性<工業の生産性 である以上、発展に制約がかかる」というモノ。
当時 ドイツ 特にプロイセンは農業国で、早い話 地主(ユンカー)が農奴をこき使い 生産物を巻き上げ、西ヨーロッパから工業品や奢侈品を輸入していました。
コレをクーツゲルシャフトといいます。
まぁ実際はドイツは工業化に成功、先進国になった訳ですが。
さて 時代は変わり1950年代、途上国日本の産業界は岐路に立たされていました。
一言で言えば 今後の日本の飯の種を「途上国張りの軽工業にするのか」、「先進国へのキャッチアップの為重工業にするのか」という問題
折しも当時 アメリカから日本への市場開放圧力が加わっており コレを認めれば アメリカからの工業製品が日本に溢れ 日本は(利益の薄い)繊維産業主導国家へまっしぐらです。
城山三郎「官僚達の夏」はこの頃の通産省のお話で、主人公の立場は、「日本の将来の為」重工業に力を入れるべき というモノ
もっと言えば、「重工業に力を持つアメリカへの市場開放(とアメリカ企業との自由競争)の否定」ですね。
話は少々ややこしくなります。
軽工業重視路線は楽です、既存路線を貫くだけですから
問題は重工業重視路線です、重工業の育成には莫大な投資が必要であり つまりは財政拡大(国の借金増大)という意味合いを持ちます。
ここに産業政策は金融政策という顔を覗かせます。
ここで2人の人物を紹介しましょう。
1人は 大蔵省の出身の 池田勇人、さらにブレーンとしての下村治です。
彼等は所得倍増論、つまり大規模開発と産業の重工業化による経済発展を主張してきました。
もう1人は一萬田尚登、日銀総裁です。 この人は大規模開発には金融緩和が必要であり、金融安定の見地から否定的でもありました。
かくして
重工業重視派(政府、大蔵省、通産省統制派)
軽工業重視派(日銀、外務省、通産省国際派)
という関係が生まれました。
若干補足 日銀は当時「銀行の銀行」という顔をもち、復興支援関連も含めて 産業界に資金提供を担う立場にありました。
さて 具体的なお話は城山三郎に押し付けるとして、言葉では到底語り尽くせない戦いの結果 勝ったのは重工業重視派でした。
月日は流れ新世紀になりました。
人々はあのメロ・・・・は やり過ぎましたね(笑)
ハイ 結論
・自由貿易(グローバリズム)は途上国において必ずしも正解ではない という事
別に私はグローバリズム否定論者ではありません。
事実 日本経済がなんとか廻ってきたのは輸出の存在があるからです。
グローバリズムがデフレ要因という方に聞きたいのは よりグローバリズムが進んだ欧米が何故 長期デフレにならなかったか という事、貿易が停滞期にある現在では 何故デフレが囁かれるか という事です。
何が言いたいか 結局 未だによくわかっていない、という事
わからないことを知るのは前進の第一歩ですよってに