国家戦略、経営戦略には孫子 クラウゼヴィッツなど古今東西の軍事戦略家の考えが応用されているが、本当に理解されているのか?古今東西の軍事戦略の50の名著を精選し、そのエッセンスを背景も含めてわかりやすく解説する待望の軍事戦略ガイド。
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ミツゴ評価 ☆☆☆☆
<書評>反省すました
我々は色眼鏡から逃れられない。
去年 尖閣諸島問題があった頃 2ちゃんねるのキングダム(中国戦国時代を舞台とした漫画)スレを見ていると 「お前ら、よく中国モノ読めるな」との書き込みがあった
いや キングダムの作者は日本人だし ぶっちゃけ中国が舞台なだけで事件とは関係がない、はっきりいって批判はお門違いだ
だが 我々はしばしば、そのお門違いをしてないだろうか?
戦略を学ぶ人間には 何人かの偉大な先達がいるではないだろうか?
例えば孫子、クラウゼヴィッツ、フラー、ジョミニ、ケナン、クレフェルト等だろうか
だが、エンゲルスやトハチェフスキー、毛沢東等に冷静な評価は果たして出来たのだろうか?私は出来ていなかった
恐らく 中国の評価にあたり古代と現代の評価の差は利害関係に由来すると思う
もっと言えば思想かがっているのを嫌悪していたのかも知れない
反省している、たいした理解もなく 食わず嫌いの評価をしていた事に
まぁ反省はさておき なんか書こう
クラウゼヴィッツには有名な三位一体という言葉がある
つまり 国家、軍隊、人民が戦争というゲームのプレイヤーであるという意味だ
言い換えれば 戦争という手段が「人民に因って構成された政府が運用する軍隊によって行われる」という意味である
政府が軍隊を使う以上は戦争は常に政治の延長線上にあるといえるし 人民の性格が軍隊と戦争から切り離される事もないといえよう
これは例えば ソ連赤軍のドイツ軍への勝利がボルシェキズムのナチズムに対する優位性である、なんて言う言い方も可能にするかもしれない、ガチモノの共産主義者はしばしばこのような言い方を好む
こういう話は極めて観念的 形而上学的(哲学的)かもしれない
事実 大陸系の軍事思想は ドイツ観念主義に由来を持つ、例えば後にマルクスに使われるヘーゲルの弁証法なんかも1例
或いは ラッチェルのレーベンスラウム(生存圏構想)なんかを上げてもいいかもしれない
正直 私には合わない 頭が受入を拒否している
なんかオチが欲しいな
クレフェルトはクラウゼヴィッツが限界に来ていると指摘している
軍事技術の向上が皮肉にも 安価な兵器(特にAKとRPG)を供給し 国家という財源抜きに戦争を可能とした、だから小数の同志によるゲリラ(テロ)戦を可能にした
これに対する主権国家側の1つの解が 軍の近代化による、それらの兵器の無力化なんだろうなと思った