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ミツゴ評価 ☆☆☆☆
<書評>文明観というよりも経済観
文明とはある意味では自然から富を捻出するプロセスである
山を切り開き 鉱山を作り 木を燃やして金属を作る
森を開拓し、河を堤防で囲んで農地を作る
都市は莫大な資源を浪費し、活発な経済活動を行う
本書のテーマは環境と文明と経済活動をに対する諸氏百家達の比較である
著者の浅野氏は「孔子神話」にて孔子の事をコキ卸しているそうだ(私は未読)
本書に置いても孔子はかなり批判的に書かれている
春秋戦国時代は競争の時代であり、各国は富国強兵に奔走した時代でもある
結果 優秀な人材なら身分問わず採用する機運が高まる
諸侯が求めたのは、まず殷や周時代の儀礼を司る人材である
当時は祭事=政事 というように宗教の力が強かったからだ
だが何百年も前の儀礼を知っている人間等なかなかいない
孔子は、自分なら古代の儀礼をすべて知っている、という
だが変な話だ、中原(中華世界の中心地:ここでは周王朝の都、洛陽の事)から遠く離れた魯国(山東半島の付け根)の下級貴族に過ぎない孔子が何故 中央の儀礼を知っている?と
要は聞きかじりを でっちあげた訳だ
「オレの言うことを聞けば各国に仕官出来る」と若者を騙したという
ここまでいうか・・・・
そんな孔子はいう
もし王や貴族が贅沢や虚礼を行えば、天下の財産が無くなり人民の生活が脅かされるか?と
因みに当時は上流貴族の埋葬には車5台分の財宝が埋められたという そういう財宝を作るにも当然資源や人手はいる
孔子は答える「資源は足りなくならない」と
天は人間社会に序列という秩序があることを望んでいる、身分の高い人間が浪費をする事は 秩序の表れである
故に天はそのための資源を与えることは惜しまないだろう、と
また続く
天とはなにか?何故天が序列を望むのか?そんなこと人間風情が考えても仕方のない事だ、と
私には儒家の価値観が傲慢に見えてならない
要するに、身分の高い人間は贅沢して 下々の人間に見せ付けろ
ソレこそ天の道だ、天とは何か?考えるな
はっきりいえば人間をおちょくっているとしか思えない
さてお次は墨子
こちらは「節用」つまり資源の節約を訴える
何故贅沢はいけないのだろうか?
1つの解答は「誰かが贅沢は別の誰かの犠牲に繋がる」からだろう
墨子の答えはまさしくそれ
墨子の前提にあるのは「資源が有限である」という事実
なら有限な資源をなるべくムダなく使う事が人民の生活向上と国家の繁栄に繋がるという思想だ
はっきりいえば儒家と墨家は仲が悪い
以前も書いたが墨子は孔子に対して「ヤツは生きるためなら追いはぎや盗みを平気でする癖に、礼儀がどうだなぞ吐かすペテン師だ」なんて言っている
儒家も墨子を「天の理を知ろうとする愚か者」何て言っている
次は荘子だ
こちらは文明≒富 そのものの否定だ
墨子の浪費批判が「資源の有効活用」とすれば コチラは「贅沢による堕落」だ
贅沢な食事や音楽は人間本来の感覚をマヒさせる
家畜が人間により歪められるように 人間も文明によって歪められる
人は便利なモノを求めるが、山をみれば 真っすぐな木程刈り取られ 曲がった木 人間の役に立たない木こそ生き残っている
人間もまた 便利さを追究せずに自然のままに生きるがよろしい となる
この3者に共通するのが自然にたいする観察と帰納と演繹だ
孔子は天を 墨子は鬼神(≒霊魂)を 荘子は自然を使っている
ぶっちゃければ かなり主観的な見方をしているとおもう
なぜ比喩を多用するか?おそらく説得の技術だろう
つまりこの頃の思想は「人に説く」事を前提にしているのだろう


