以前も書いたことがある気がするが、チャンドラーのハードボイルド小説の中に出てくる、「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている価値がない」という科白が、ずっと好きだった。今もこの科白は好きだが、とらえ方が少し変わってきた。

強さと優しさは相反するもので、だからこそ両方を持って生きていくのは難しいのだ――若い頃は、このように解釈していた。

今は違う。強さと優しさは相反するものではなく、コインの裏表のようなもので、どちらかが欠けては成立しないものだと思う。弱い人間は優しくなれないし、優しくない人間を強いとは言えない。
若い頃の苦労は買ってでもしろ、と言う。これは正しいと思う。それから、年をとってからは不毛な苦労をしてはならない、とも思う。若い頃は、苦労の量がそのまま強さにつながり得る。老いてからは、苦労の「質」が人生の豊かさを決める。
やりたくない仕事を一定期間つづけると季節に関係なく風邪を引く体質である。どれだけ栄養をとっても運動をしても睡眠をとっても無駄なのだ。なんて正直な身体。