若い頃、美しい言葉には強い力が宿ると思っていたが、間違っていた。強い言葉だけが美しいのだ。
雑な仕事をする人、というのがいる。雑さは、才能や技術である程度カバーできる場合もあるが、やはり、丁寧に仕上げられた仕事とは、まったく違う結果を生み出す。雑に仕事をしているという自覚があるとき、たとえ表面上はうまくいっていても、僕はいやな不安を感じてしまう。何にしてもそうだが、丁寧に取り組めば必ず相応の手ごたえがある。そういう、丁寧になれる対象に出会えた人こそ、幸福な人と呼ぶべきだと思う。

人間はその気になれば大抵の苦労に耐えられるが、希望がない状況にだけは、耐えることができない。自殺する人に、辛抱が足りない、と叱るのは間違っている。足りなかったのは辛抱ではなく、希望だったのだ。生き残るために持つべきもっとも強い力は、希望を見出し、抱き続ける力ではないか。