テレビは一部のドキュメンタリー番組やニュース番組以外あまり見ない。毎日ほとんど見るとすれば、朝の支度をするとき流している情報番組なのだが、これも最近、見るのがいやになってきた。

なぜかというと、最近はどの局も朝の6時台からタレントの不倫スキャンダルを取り上げている。どこからか流出した男女のメールのやりとりを公開してみんなで面白がったり批判したりしている。ネットや週刊誌ならともかく、まっとうなメディアが朝っぱらから堂々ととりあげるべき話題とは思えない。

確かに不倫はよくないだろうが、人の個人的なメールを盗み見る、しかもそれを日本中で面白がるという行為は、それ以上に趣味が悪いと感じるのは僕だけだろうか。

テレビ局同士の視聴率争いが話題になったりするが、僕に言わせれば民放はどこもおよそ似たようなものだ。せめて大手新聞社系のテレビ局ぐらい、中身のある番組を作ればいいのにと思う。
最近のニュースを見ていると、わからないことだらけですごく疲れる。疲れてばかりではいけないので、この夏は苦手だった政治、国際、エネルギー、軍事、経済、社会福祉関連の本を手当たり次第に読んで情報を仕入れている。

本を読んでわかったことは大きく二つある。

一つは、ネットやテレビ、新聞(特に一紙だけの場合)から取り入れられる情報は、氷山の一角に過ぎないということだ。国家の運営にかかわるような大きな問題について論じるには膨大な論拠が必要なので、数百ページある本を読まなければわからないことはすごく多い。情報を発信するテンポが他のメディアより遅いのが難点だけれど、少しでもそういう問題に興味があるなら、絶対に読むべきだ。それも、同じ問題に対して異なる主張をしている複数の本を読まなければ意味がないと思う(ただし、明らかにしょうもない本は時間の無駄なので読まないほうがいい)。

本を読んでわかったもう一つのことは、この国はいま本当にひどい状態にある、ということだ。しかも、一市民にできることはほとんどない。そういう意味では、この夏の読書は本当に疲れた。本を読む前よりもかえって無力感は増した。

ただ、逆に開き直りができたところもある。どんな環境になろうと生き残れる方法を見つけ、そして何があっても人生を楽しまなければならない、という覚悟ができた。そうすることで、自分を守るしかないのだ。

もちろん、僕なりに諸問題に対する意見はあるけれど、このブログの趣旨はそういうものではないので、ここでは書かない。ただ、周囲に流されることなく、最善と思われる意見を常に持ち続けたいと思っている。

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読書といえば、もう一つ思うことがある。

最近売れている本といえば又吉直樹の「火花」だ。

僕は偶然「火花」が掲載された文芸誌を毎月購読していたので、あの小説が評判になる前に読んだのだけれど、他のプロ作家の書く独りよがりな小説よりもよほど面白くて、「不器用だけどいい小説だな」と感心していた。芥川賞をとったのも妥当だと思う。

ただ、百万部以上売れるような傑作かといえば、まあ、そうではない。今の「火花」ブームを見ていると、日本人というのは、つくづく自分で情報を選ぶ力(あるいは意志)がない国民なんだなあと思い、またどっと疲れてくる。

テレビで又吉直樹をはじめとする「読書芸人」が紹介した本も、飛ぶように売れているらしい。日ごろ本を読まない人が読むきっかけを見つけるという意味では悪くないと思うけれど、ためしにAmazonでそうした本のレビューを見てみると「テレビで見て買ってみたが面白くなかった」みたいな感想が並んでいて、なんだかうんざりしてしまった。

かくいう僕の友人の中にも、「何か本が読みたいから面白い小説を紹介してくれ」などと相談してくる人がいる。もちろん快く、なるべく読みやすくて面白い本を薦めるのだけれど、結局のところ読む本人に自発的に読書を楽しもうという気持ちがない場合は「よくわからなかった」「読むのに三か月かかって最初の方が思い出せなかった」などといったパッとしない感想を後日きくことになる。

こういうことが多いので、最近は人に本を薦めるのはやめた。

だいたい、本なんて本屋に行けばいくらでもあるし、図書館に行けばもっとたくさんある。読む本に迷っているなら「新潮文庫の100冊」とかから選べばいいし、直木賞や芥川賞、本屋大賞をとった作品をとりあえず読んでみるのもいい。図書館に行けば「世界文学全集」もある。

なんでこれだけ情報が簡単に手に入る世の中なのに、自分で調べようとしないのか。答えはわかりきっている。そもそも情報に対する欲望がたいしてないのだ。日常が退屈すぎて苦痛だが、退屈しのぎのための努力もなるべくしたくないのだ。

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なんだか愚痴っぽいことばかり書いてしまったけれど、僕自身はとても元気です。

マラソンに向けて走り込み、映画を毎週見て(上映中の映画は面白いのが少ないのでほとんどDVDだけど)、本を読んで、それから本当にやりたい仕事の準備をコツコツ進めている。

このブログの更新も、当分できないかもしれない。みなさんも、元気にやりたいことをやりとげてください。
生きている人と死んだ人の違いとはなんだろう。端的にいえば、時間を持っているかどうか、ということだと思う。各自の持ち時間が尽きたときが、死だ。

そう考えると命というのは時間である、ということになる。時間を使うことは命を消費することだ。仕事をしているときもテレビを眺めているときも眠っているときも、僕らは少しずつ死んでいる。

たとえ時給850円のアルバイトでも、給与は細かく分割された命と引き換えに手に入れたお金だ。望むと望まざるとにかかわらず、僕らは命を賭けて仕事をするしかないし、命を賭けて遊ぶしかない。

しかし、それにしては、いのちがけで生きていると実感できる瞬間は、なぜかとても少ないのだ。