熊野古道中辺路旅行後編初日の平成30年(2018年)11月23日(金)、7時過ぎに新宮駅のすぐそばのステーションホテル新宮をチェックアウトした前泊組の私、Y原さん、Aの3人は、神倉神社へと向かいました。
夜行バス組のN松さんは、新宮に到着するのが7時50分前後の予定だったので、私達3人は先に神倉神社を参拝して、途中でN松さんと合流することにしました。
◇出雲大社新宮教会
ステーションホテル新宮から、歩いて15分ほどで神倉神社の手前にある出雲大社新宮教会に着きました。
(出雲大社新宮教会)
出雲大社は、「いずもおおやしろ」と読むのが正式ですが、新宮教会の「教会」という響きを少し不思議に思いました。
この「教会」という響きは、以下の経緯によります。
明治15年(1882年)に、出雲大社及び国家神道から分離する形で出雲大社教が設立されました。
全国に多数の分社が存在する八幡神社や諏訪神社などは、分社は、「神社」、「分社」という名称が多いのですが、出雲大社教の場合は、全国にある出雲大社教の拠点は、神社本庁にも出雲大社にも所属しておらず、出雲大社教の布教機関に過ぎないので、「分祀」、「教会」と呼ばれるようです。
昭和26年(1951年)に出雲大社教は出雲大社と統合されたものの、法人としては、「宗教法人出雲大社」、「宗教法人出雲大社教」は、別団体として存続しているそうです。
出雲大社教を設立したのは、第80代出雲国造の千家尊福(せんげたかとみ)ですが、千家尊福は開祖とされており、教祖は、出雲国造家の始祖である天穂日命(あめのほひのみこと)となっています。
天穂日命は、『古事記』、『日本書紀』では、天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと。『日本書紀』では素戔嗚尊などと表記。)が誓約(うけい)をしたときに生まれた五男三女神のうちの一柱の神で、この天穂日命の兄である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子孫が、初代神武天皇とされています。
天穂日命は、葦原中国(あしはらのなかつくに。地上にある日本のこと)を平定するため、高天原から出雲の大国主神の元に派遣されましたが、大国主神を説得するうちに大国主神に心服して地上に住み着き、3年もの間、天上の高天原に戻りませんでした。
その後、前々回の『婆娑羅日記Vol.43~坂東三十三観音㉙(千葉編❹番外編2)』でお話しした有名な出雲の国譲り神話のとおり、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲ることになりました。
その後、天穂日命の子の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が国譲りに応じた大国主神を祀るため、出雲国造に任じられたとされていますが、物部氏が記したとされる『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)によれば、初代天穂日命から数えて第12代にあたる宇迦都久怒が初めて出雲国造に任じられたとしており、千家家がまとめた『出雲国造伝統略』によれば、初めて出雲国造に任じられ、出雲姓を賜ったのは、第17代にあたる出雲宮向であるとしています。
そして、南北朝時代に出雲国造家は千家家と北島家の二家に分裂し、現在に至っています。
平成26年(2014年)10月に、高円宮憲仁殿下と高円宮久子妃殿下の次女である典子女王が、天穂日命から数えて第84代にあたる千家尊祐氏の長男で、出雲大社権宮司に就任した千家国麿氏とご結婚されたのは、記憶に新しいところです。
話を戻しますと、この出雲国造家は、代々、国譲りに応じた大国主神を祀ることを託されていますので、出雲大社教も、大国主神を奉斎しております。
ところで、『古事記』や『日本書紀』に記された出雲の国譲り神話は、建御雷神(たけみかづちのかみ)との戦いに敗れて諏訪まで逃げ延びて逼塞した大国主神の子の建御名方神(たてみなかたのかみ)のように、一部抵抗を示した者がいたものの、話し合いによって穏便に国譲りがされたかのように読めます。
しかし、『古事記』では、大国主神は、「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百足らず八十坰手(やそくまで)へ隠れましょう。」と述べて、国を差し出しています。
天津神というのは、天照大神など、高天原にいる神のことで、国譲りを迫った側のことですが、「八十坰手」とは、遠く離れた場所を意味します。
そして、「隠れる」というのは、隠居を意味するようにも思えますが、亡くなることも意味しています。
抵抗した建御名方神の兄である事代主神(ことしろぬしのかみ)は、国譲りに同意したものの、『日本書紀』では、「父は去るべきでしょう。私もそれに違反しません」と答えて、海の中に八重蒼柴籬(やえあおふしかき)を作り、船の端を踏んで姿を消したと記しています。
つまり、海の中に飛び込み、自ら命を絶っているのです。
このようなことから、大国主神も、出雲の国譲りにおいて、最後は降参したものの、殺されているとの説もあります。
天照大神が出雲の国譲りを求め、その子である天穂日命の子孫が代々出雲国造家を世襲し、国譲りに応じた大国主命を出雲大社で祀り続けているということは、出雲大社は、出雲の国譲りによって命を落とした大国主神を始めとする出雲の人々を鎮魂するための神社のように思えてなりません。
今回は、出雲大社のお話がメインではないのですが、出雲大社のお話を少し深堀りさせていただいたのは、実は、島根にも熊野大社があるのですが、出雲大社、紀伊国の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)、そして大和国の大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られている神は、いずれも出雲神であるとの説もあるのです。
出雲大社教の分祀、教会は日本各地にあるのですが、上記のようなことから、この新宮にある熊野速玉大社の摂社である神倉神社の手前に出雲大社教新宮教会があることには、特別な意味があるようにも思えたのです。
◇神倉神社
出雲大社新宮教会のすぐ先の太鼓橋を渡ると、神倉神社の境内となります。
(神倉神社/太鼓橋)
太鼓橋の先に、神倉神社の説明板があり、御祭神は、高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神と記されています。
(神倉神社/説明板)
『婆娑羅日記Vol.26~高野道(熊野古道小辺路)旅行記in2015①』でもご紹介しましたが、『日本書紀』や『古事記』では、高倉下命の次のような逸話を記しています。
神日本磐余彦(かむやまといわれびこ。後の初代神武天皇)は、九州の日向(現在の宮崎県)を発ち、大和を征服し、橿原宮で初代天皇に即位します。世にいう神武東征です。
しかし、この神武東征は、苦難の連続でした。
神日本磐余彦は、熊野で悪神の毒気により倒れてしまいます。
そのとき、高倉下命は、次のような夢を見ました。
天照大神と高木神が、葦原中国(あしはらのなかつくに。日本のこと。)が騒がしいので、建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わそうとしたところ、建御雷神は、「私がいかなくとも、国を平定した剣があるので、それを降ろせば良い。」と述べ、高倉下命に、「この剣を高倉下命の倉に落とし入れることにしよう。お前は、朝目覚めたら、天津神の御子(みこ)に献上しろ。」と言いました。
ここで、天津神(あまつかみ)とは、前述のとおり、高天原から降臨した神々の総称で、その最高神が、天照大神なのですが、神日本磐余彦は、天照大神の子孫とされていますので、「天津神の御子」とは、神日本磐余彦を指します。
そのような夢を見た高倉下命は、目覚めてから倉を調べたところ、倉の中に剣が置かれていたので、それを神日本磐余彦に献上したところ、神日本磐余彦は覚醒し、大和を制圧することができました。
高倉下命は、いわば、神武東征の功労者の一人というわけです。
太鼓橋を渡ると、左手に鳥居があり、その先に鎌倉積みの急な石段が見えます。
(神倉神社/鳥居・石段)
この石段は、源平合戦における熊野の功を賞して、建久4年(1193年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝が寄進したものと伝えられています。
その急な石段を538段登り切ると、参道は緩やかになり、その先に神倉神社の社殿があるのですが、途中には、中ノ地蔵堂と火神社がありました。
(神倉神社/中ノ地蔵堂)
(神倉神社/火神社)
神倉神社では、毎年2月6日に、御燈祭という火祭りが執り行われます。
御燈祭の起源については、諸説ありますが、地元では、神武東征の際、高倉下命が松明をかかげて神日本磐余彦を熊野の地に迎え入れたことが始まりであると考えているようです。
火祭りは、日本各地にあるのですが、出雲国造家の世継ぎ式のときに、神火継ぎ式の神事が行われます。
熊野三山、出雲大社、大和国の大神神社の本来の御祭神は出雲神であるという説があることは前述しましたが、出雲大社と、熊野三山の1つである熊野速玉大社の摂社である神倉神社で、火の神事が行われていることは、非常に興味深いことだと思います。
中ノ地蔵堂、火神社からさらに参道を進むと、神倉神社の社殿と、御神体であるゴトビキ岩が見えます。
(神倉神社/社殿・ゴトビキ岩)
社殿の前から南を見えると、新宮の町並みと熊野灘が一望できます。
(神倉神社/新宮の町並みと熊野灘)
参拝後、参道を戻りながら、社殿とゴトビキ岩を見上げたのですが、遠目に見ても、ゴトビキ岩の大きさには感動します。
(神倉神社/社殿・ゴトビキ岩)
私とY原さんは、急な石段を良いペースで登ったのですが、なかなかAが来ないので、ゆっくり下り始めたところ、Aがやっと登ってきました。
Aの参拝を待って、熊野速玉大社へと向かいました。
◇次回予告
次回は熊野速玉大社のお話からさせていただきます。
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