黒河道&京大坂道&熊野古道小辺路旅行二日目(平成29年10月7日(土))、極楽橋から京大坂道の一部である不動坂を歩いて、不動坂口女人堂まで辿り着いた私たちは、女人道へ入っていきました。

 

◇女人道~獄弁天社

 

 不動坂口女人堂の近くのバス停の裏側に、「弁天岳へ1km」という道標があります。

 

(女人道/弁天岳への道標)

 

 ここを登っていくと、15分強で、獄弁天社に着きます。

 

(女人道/獄弁天社)

 

 獄弁天社は、弘法大師空海)が、大和(現在の奈良県)の天河弁天社から勧請し、弁財天を祀ったものと伝えられています。

 

◇女人道~助の地蔵尊

 

 獄弁天社から数分ほど歩くと、高野山高校のグランドが見え、その先に、壇上伽藍根本大塔が見えます。

 

(女人道/高野山高校グラウンド)

 

 前回もお話ししましたが、かつての高野山は女人禁制だったのですが、高野山の7つある入口、いわゆる高野七口町石道黒河道(くろこみち)、京大坂道高野道大峰道有田・龍神道相ノ浦道)に建っていた女人堂までは、女性も入ることができました。

 

 その七口にある女人堂を繋ぐ道が女人道なのですが、女性は、この女人道を歩いて女人堂を参拝し、女人道から見える弘法大師空海)の御廟を遠くから拝んだのです。

 

 私たちも、女人道から壇上伽藍根本大塔を見て、女人禁制だった当時に女人道を歩いた女性たちの雰囲気を味わうことができました。 

 
獄弁天社から10分弱歩くと、大門口女人堂跡が有り、さらにそこから5分強歩くと、大門に出ます。

 

 女人禁制の当時は、女性は女人道より内側には入ることは出来ませんでした。

 従って、大門から内側には入ることが出来なかったのですが、江戸時代に描かれた『高野山之図』には、大門を潜り、そこから高野山内を眺めている女性も描かれています。

 どうやら、大門の内側にある階段を降りなければ、セーフだったようです。

 

 大門の前を国道480号が通っているのですが、この国道480号は、大門の先で分岐していて、大門の脇を抜けて東の方に向かうと、壇上伽藍があります。

 この大門の脇を抜ける国道480号の向かいに、延命地蔵尊が有り、その脇に、女人道が通っています。

 この女人道を挟んで延命地蔵尊のお向かい辺りに、龍神口女人堂跡があったそうです。

 

 この龍神口女人堂跡から女人道に入っていくと、数分で、助の地蔵尊に着きます。

 

(女人道/助の地蔵尊)

 

 入口の脇にある石碑に、助の地蔵尊の由来が記されています。

 

 ~このお地蔵さんは「元熊野辻の地蔵さま」と申されておりましたが、私が若い頃に病になり、死を決してお参りした際「人間の苦厄は凡べて慾から起こる取得より施善こそ人の道である」と諭され、一切の欲望を捨てたとき、病は治り極楽の心境まで興えられました。
 それから誰というとなく助の地蔵というようになり、信者が日増しに多くなって来ました。今後永年の報恩と更に人類の幸福世界平和のために仏徳降授を祈願してこの碑を建立したものであります。~

 

 この助の地蔵尊の近くにある石を手に取り、願い事を1つして持ち帰り、願いが叶ったら、この石を助の地蔵尊に返しに来るというのが、願掛けの作法だそうです。

 

◇女人道~ろくろ峠

 

 助の地蔵尊から15分ほど歩いたところに、道標が有りました。

 

(女人道/道標)

 

 道標には、「左 くまの道」と刻まれています。

 

 ここから急な残り坂を登っていくと、鉄塔跡の広場があるのですが、その手前が、相の浦口女人堂跡だそうです。

 

 鉄塔跡の広場の少し先には、見晴らしの良い場所が有ります。

 

(女人道/相の浦口女人堂跡付近)

 

 ここからさらに15分ほど歩くと、ろくろ峠に着きました。

 

(熊野古道小辺路/ろくろ峠)

 

 ろくろ峠は、轆轤(ろくろ)を回すようにくねくねと小さく曲がった坂が続くので、ろくろ峠という名がついているようです。

 

 このろくろ峠の所に、大滝口女人堂跡が有り、ここで、熊野古道小辺路女人道と合流します。

 

◇次回予告

 

 ろくろ峠に辿り着いた私たちは、ここから熊野古道小辺路を歩き、熊野本宮方面へと歩を進めていったのですが、次回は、そのお話をさせていただきます。

 

 

 本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m 

 

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