ある所で目に入ってきた言葉。
「日々の健康なしに幸せはない」と。
不治の病や障がいを抱えている人は
どう足掻いても幸せになれないってこと?
健康は幸せの要素のひとつに過ぎないんじゃないの?
上の言葉のように考えるのは、きっと
健康を失って落ち込んでる人か
今現在健康でいる人か、どっちかですね。
実際には、健康実践活動をされている元ナースの言葉なので、
後者。
どのような状況でその発言をされたかわからないのですが
医療関係者がそんな風に考えるなんて、と
ちょっとカチンときました。
でもまあ仕方ありませんね。
病気があっても幸せ、と言い切れるのは
そういう経験をした人の特権だもんね。
健康な時はそれに気づかないか、
気づいたとしても想像することしかできないから。
私もがんになる前は、もしかしたら
同じようなことを言っていたかもしれない。
我が家では、昨日から車が2台になりました。
こう書いて、
2台め買ったんだ、と思うのは都会の人。
1台手放したの?って思うのは田舎の人。
三人家族の我が家、今まで一人一台だったのを
車検を機に1台手放すことにしました。
去年の秋から主人の職場が近くなったから
できることなんですが、
近くなったといっても、自転車で1時間くらいかかるらしい。
(公共交通機関利用だとたぶんもっとかかる。)
家族会議の結果、
荷物の多い娘は今まで通り車通勤、
もう1台は主人と私で使うことになりました。
最初は、主人に通勤に使ってもらって
私はどうしても必要な時だけ、と思ったのですが、
それだと引きこもりになっちゃうよ、と言われ、
お言葉に甘えて、私がメインで使うことに。
(家族の優しさが身に沁みる~)
主人はとりあえず自転車で通ってみて、
無理だと思ったら原付買う、と言っています。
で、昨日、任意保険の書き換えをディーラーで相談したのですが…
(前置き長いwww)
主人の「通勤・通学用」で入っている保険を
私の「日常・レジャー用」に書き換えれば
保険料が安くなる。
といっても2000円弱しか戻ってこない。
今のままにしておけば、主人の通勤メインで使ったとしても
何かあった時に保険が使える。
書き換えてしまうと、
主人がメインで車を使ってしまって事故にあった時、
申告がウソだった、ということになってしまう。
来年の更新の時まで、書き換えしないで様子を見たら?
日頃お世話になっている営業さんにかなり強く勧められて
そのようにしたのですが、なんか釈然としません。
私は車以外の移動手段は考えられない。
だから、主人が毎日の通勤に車を使うとすれば、
私の具合が悪くなって
一人で外出できない状況に戻ってしまった時のこと、
なんですよね・・・
帰りの車の中で、主人に言いました。
営業さんはそこまで考えずに、単純に
アナタが今まで通り通勤に使っちゃうことを心配してるって
それはちゃんとわかってるんだよ。
でも、僻みっぽい見方をすれば
今は私が運転してるけど、
また悪くなって一人で動けなくなっちゃって
アナタが運転するようになるかも、って
解釈できなくもないんだよね・・・。
う~んこのニュアンス伝わるでしょうか?
上手く書けなくてすみません。
こんな気持ち、主人にもわかってもらえないだろうな~
と思ったら、
「うん、そうだよな。」
わかってくれた!
言ってみるもんですねえ。
伝わらないだろうと思ったのに!
一番身近にいる人に、気持ちをわかってもらえるのは
嬉しいことですね。
(いつもそう、ってワケじゃないけどね。)
病気になって夫婦の会話が増えたことは、確か。
ヒソプの花が咲きました。
旧約聖書の詩篇に出てくるハーブです。
後ろに茂っているのは伸びすぎのスペアミント。
ありがとうございます
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