健康なくして幸せなし? | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

ある所で目に入ってきた言葉。

「日々の健康なしに幸せはない」と。

 

 


不治の病や障がいを抱えている人は

どう足掻いても幸せになれないってこと?
健康は幸せの要素のひとつに過ぎないんじゃないの?

 

上の言葉のように考えるのは、きっと

健康を失って落ち込んでる人か

今現在健康でいる人か、どっちかですね。

 

実際には、健康実践活動をされている元ナースの言葉なので、

後者。

 

 

 

どのような状況でその発言をされたかわからないのですが

医療関係者がそんな風に考えるなんて、と

ちょっとカチンときました。

 

でもまあ仕方ありませんね。

 

病気があっても幸せ、と言い切れるのは

そういう経験をした人の特権だもんね。

健康な時はそれに気づかないか、

気づいたとしても想像することしかできないから。

 

私もがんになる前は、もしかしたら

同じようなことを言っていたかもしれない。

 

 

 

○  ○  ○  ○  ○

 

 

 

我が家では、昨日から車が2台になりました。

 

 

 

こう書いて、

 

2台め買ったんだ、と思うのは都会の人。

1台手放したの?って思うのは田舎の人。

 

 

 

三人家族の我が家、今まで一人一台だったのを

車検を機に1台手放すことにしました。

 

去年の秋から主人の職場が近くなったから

できることなんですが、

近くなったといっても、自転車で1時間くらいかかるらしい。

(公共交通機関利用だとたぶんもっとかかる。)

 

家族会議の結果、

荷物の多い娘は今まで通り車通勤、

もう1台は主人と私で使うことになりました。

 

 

 

最初は、主人に通勤に使ってもらって

私はどうしても必要な時だけ、と思ったのですが、

それだと引きこもりになっちゃうよ、と言われ、

お言葉に甘えて、私がメインで使うことに。

(家族の優しさが身に沁みる~)

 

主人はとりあえず自転車で通ってみて、

無理だと思ったら原付買う、と言っています。

 

 

 

で、昨日、任意保険の書き換えをディーラーで相談したのですが…

(前置き長いwww)

 

 

 

主人の「通勤・通学用」で入っている保険を

私の「日常・レジャー用」に書き換えれば

保険料が安くなる。

 

といっても2000円弱しか戻ってこない。

 

今のままにしておけば、主人の通勤メインで使ったとしても

何かあった時に保険が使える。

書き換えてしまうと、

主人がメインで車を使ってしまって事故にあった時、

申告がウソだった、ということになってしまう。

 

来年の更新の時まで、書き換えしないで様子を見たら?

 

 

 

日頃お世話になっている営業さんにかなり強く勧められて

そのようにしたのですが、なんか釈然としません。

 

私は車以外の移動手段は考えられない。

だから、主人が毎日の通勤に車を使うとすれば、

私の具合が悪くなって

一人で外出できない状況に戻ってしまった時のこと、

なんですよね・・・

 

 

 

帰りの車の中で、主人に言いました。

 

営業さんはそこまで考えずに、単純に

アナタが今まで通り通勤に使っちゃうことを心配してるって

それはちゃんとわかってるんだよ。

 

でも、僻みっぽい見方をすれば

今は私が運転してるけど、

また悪くなって一人で動けなくなっちゃって

アナタが運転するようになるかも、って

解釈できなくもないんだよね・・・。

 

 

 

う~んこのニュアンス伝わるでしょうか?

上手く書けなくてすみません。

 

こんな気持ち、主人にもわかってもらえないだろうな~

と思ったら、

「うん、そうだよな。」

 

わかってくれた!

言ってみるもんですねえ。

伝わらないだろうと思ったのに!

 

一番身近にいる人に、気持ちをわかってもらえるのは

嬉しいことですね。

(いつもそう、ってワケじゃないけどね。)

 

 

 

病気になって夫婦の会話が増えたことは、確か。

 

 

ヒソプの花が咲きました。

旧約聖書の詩篇に出てくるハーブです。

後ろに茂っているのは伸びすぎのスペアミント。

 

 

 


ありがとうございます

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