初発の治療の時はまだ、
できるだけ家族に心配をかけたくないと思うだけの
余裕がありました。
転移後の抗がん剤が始まってからは、先が見えなくて、
主人の前でよく泣きました。
娘に「漏らしちゃった~パンツ持って来て~」と
頼んだこともありました。
因みに娘は保育士なので、お漏らしは日常茶飯事で
何やってんの~と笑いながら持って来てくれました。
下着の始末は頼みませんでしたけどね。
家族を巻き込まなきゃやってけない!と思った訳です。
巻き込まれてくれた家族に感謝感謝。
とにかく、その日を生きるのに必死でした。
最初の頃は寝る前に
「ああ、今日も一日が終わった」
と思わない日はありませんでした。
一人だったら、頑張れなかったと思います。
抗がん剤の3回目くらいからかな?
気分の落ち込みが、
投与から一週間くらいして始まるのがわかってからは、
家族に「今週落ちるからね!」と宣言して
心ゆくまでうだうだしていました。。
もう一つの家族のことを書きます。
何度かここにも書いているように、
私はプロテスタントのクリスチャンです。
乳がんとわかってすぐ、それを教会内で公表しました。
多くの人に祈ってもらいたかったからです。
教会はフツーの人の集まりです。
気の合う人も、そうでない人もいます。
でもみんな私のことを気にかけて、祈ってくれました。
……にも関わらず、転移、骨折してしまった。
何で?
神様は助けてくれないの?
耐えることのできない試練には会わせないって嘘なの?
嘘じゃないとしたら、
神様は私のことを買い被ってるんだ!
結論を言っちゃうと
私の会った試練は耐えることのできる試練でした。
だって今、こうして曲がりなりにも元気にしてるもんね。
けど1年前は……。
一人では家から外に出ることも難しく
当然通院にも人の助けが必要でした。
病院では介護タクシーを使うように言われましたが、
往復で1万円以上かかります。
普通のタクシーでは、運転手さんにどこまでお願いできるか…。
教会の人が一人、窓口になってくれて
通院の付き添いの割り振りをしてくれました。
都合のつく人がいない時は、牧師先生までも。
昼間一人で、不安な気持ちで過ごしている私を案じて
毎週誰かしら、家に遊びに来てくれました。
ランチやお惣菜の差し入れを持って。
ハープを持てない私に(重くて持てなかった)、
オカリナを教えてくれる人もいました。
「遠慮しないで!
トロイさんのためにやってるんじゃなくて
私たちもそれが嬉しいからやってるんだから。
してほしいことがあったら言って!」
ひとりで外に出られるようになるまでの2ヶ月くらい
そんなことが続きました。
祈りは、
私の願ったような形では、聞き届けられませんでした。
でも、ちゃんと神様に届いていました。
神様は私に、必要なものを全て与えてくださった。
超自然的な方法ではなく、
私の周りの人を通して。
私はそう思っているのです。
だから、
「迷惑かけてごめんね」とは言いませんでした。
そう言ったらがっかりされると思いました。
ただ、「ありがとう」と、感謝をもって
みんなからの好意をいただいていました。
心から感謝すること。
それが、私にできることなんだと思いました。
それでいいんだと思いました。
聖書の言葉
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、
神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
(Iヨハネ4:12)
去年ブログにいただいた一つのコメントを
今でもよく覚えています。
その方は大腿骨を骨折して初めて乳がんであることがわかり、
骨と肝臓に多発転移があったそうです。
私と同じように、リハビリが上手くいっても
松葉杖が限度だから、一生歩行器を使うつもりでと
言われたそうです。
その方がリハビリを続けて1年半、
骨転移も肝転移も消えてはいないけれど、
空洞だった骨が少しずつ再生し、歩行器から松葉杖、
さらには杖で歩けるようになった。
だから、希望をもって、杖で歩きたいという欲を
持ち続けてほしい。
そうコメントを寄せてくださいました。
私も、この方と全く同じ経過をたどっています。
骨にも肝臓にもがんはあるけれど、
今は病院も買い物も
松葉杖1本で出られるようになりました。
まいまいつぶりさん、今どうされているでしょうか。
貴女のコメントはひとすじの光でした。
ブログをされていないようなので
お礼の気持ちを伝えるすべがありません。
その代わり、と言うわけではありませんが
私の書いた言葉のどれか一つでも
今、辛い中にある方の希望になればと思って
長々と私の体験を書かせていただきました。
お付き合いくださってありがとうございました。
今日、57回目の誕生日を迎えました。
今こうしていられることに感謝です。
ありがとうございます
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