余命とか、5年生存率とかを知ろうとしたことはありません。
治療のことを調べていて
目に入ってしまうことはありますが、
確率に過ぎない数字に気持ちが左右されるより、
知らない方がいいと思っています。
でも、普通の生活がどのくらい送れるか、は
知りたいと思っていました。
転移した時、
「今の生活が送れるのはあと1年くらいかもしれません」
みたいなのが分かるんだったら
早めに教えてほしいな、と思いました。
それを先生にお願いする前に、
普通の生活ができなくなってしまった訳ですが。
先生というのは、病院の外科の主治医ではなく、
最初に乳がんの告知を受けた
市内のクリニックの先生です。
手術と抗がん剤は隣の市の中核病院で、
ハーセプチンはクリニック。
病院じゃないとできない治療や検査は病院で、
それ以外はクリニックで、の二本立てでやってきました。
田舎の小さな個人医院ではありますが、
話をよく聞いてくれ、説明も丁寧でわかりやすいので、
何かある毎にこのクリニックに行っています。
正式にではありませんが
セカンドオピニオンの先生でもあります。
退院して少し落ち着いてから、クリニックに行きました。
この頃はブログを休んでいた時期なので、
だいぶ記憶が曖昧になっているのですが
診察というよりはむしろ、
泣き言を言いに行ったことを覚えています。
こんなに早く転移するなんて思わなかった。
転移するとしてももっと先のことだと思っていた。
それに
転移してもしばらくは普通の生活が送れると思っていた。
こんなに早く普通の生活ができなくなるなんて思わなかった。
そう言って先生の前で泣きました。
看護師さんは黙ってティッシュの箱を差し出してくれました。
先生は静かに
「僕もそう思ってた。トロイさんのケースは僕も初めて」と。
頼りない先生だと思われるでしょうか。
私はこの言葉を聞いてむしろほっとしたのです。
名医ではないかもしれないけれど、
経験が非常に豊かというわけではないかもしれないけれど、
私のことをちゃんと考えてくれてるから、
この先生と二人三脚で、と思っていた。
その先生でさえ、こんな展開は予想できなかったのだ。
それじゃもうしょうがないじゃないか。
先生はしっかりと私に向き合ってくださって、
お解りになる範囲の中で
私が受けるべき治療をきちんと教えてくださって、
私はそれを全部してきたのだ。
乳がんになってしまったのと同じように、
転移して、骨折してしまったのは仕方のないことだったんだ。
先生と話したことが
自分を受け入れるきっかけになりました。
私が悪かったんじゃない。
他の誰かのせいでもない。
過ぎたことを思ってもしょうがない。
骨折する前には戻れない。
今の自分は足が不自由な乳がん患者。
それが現実なんだから、
そこからもう一度スタートしよう。
薬が効くかどうかなんて、
いつまで生きられるかなんて、
先生にだってわかりっこないんだから。
先のことを考えず、今、できることを考えよう。
この後も、立ち止まることは幾度かありましたが、
ありのままの姿で前を向く決心は
この時についたように思います。
そうそう、こんなことも質問しました。
「鎖骨にも転移があるらしいんですけど、
だからと言って安静にしていなくていいんですよね?
車イスにしても歩行器にしても、
腕を使わないと移動できないじゃないですか。
でも腕を使ったからがんが進行するなんていうことは
ないですよね?」
冷静に考えたらバカみたいな質問ですけれど、
その時は何もかもが不安の種だったんです。
「動いたら悪くなるなんてことないから大丈夫だよ。
動いたって動かなくたって、折れる時は折れちゃうけど、
少なくとも今は安静にする必要はありません。」
先生にはっきりとそう言ってもらうことで安心できました。
ねえ、このブログを最初の方から読んでくださっている方は、
覚えているでしょう?
まあイケメンの、爽やか笑顔の、若きドクターのこと。
あのドクターに言われるまま、
ハーセプチンを4ヶ月だけで止めていたら、
今頃後悔していたかもしれません。
やっぱりあの治療は間違っていたんじゃないか、
1年間やらなかったから
転移しちゃったんじゃないか、って。
ドクターとの信頼関係。
自分で納得して治療を受けること。
後になって後悔しないために、大事なんじゃない?って思って、
ブログにも結構しつこく書いてきました。
本当にその通りだったと、今思っています。
書き方がまずくて一部の方にご心配をかけてしまい
申し訳ありませんでした。
去年圧迫骨折した頃のことを振り返って書いています。
今は元気にしていますので、ご心配なく!
長くなりましたが、次回で終わりますね。
ありがとうございます
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