遺伝子研究に思うこと | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

「遺伝子組み換え人間」

「遺伝性の病気を減らすため、
全ての人に遺伝子検査を義務付け、

傷を持った遺伝子の持ち主の結婚を禁止する」

「遺伝性乳がんを発症し、
娘もその遺伝子を持っていることがわかった。

結婚した娘の卵子を取り出し、
傷のある遺伝子のみ正常なものと入れ替える。」




実際に行われていることではないんですけどね、
どこまでが許されることなんだろう。

遺伝子レベルの研究が進んで、
がんの原因がわかってそれを取り除いたり、
ピンポイントで狙い撃ちする薬ができたりすれば
素晴らしいことなんだけど。



お隣の大国ではもうすでに、子どもの遺伝子を調べて、
スポーツに向いてるとか音楽家にするとか
遺伝子によって将来のための英才教育を受けさせる、
みたいなことが行われているのだそうです。

まあ、それもどうかと思うんですけどね、
まだ、何かヤダ、くらいで済ませられます。


でも、遺伝子を調べた結果、
病気につながるような異常が見つかっちゃったら・・・。

本人だけの問題では済まないのが難しい所。
兄弟やその子孫の、将来の結婚・出産にまで関わってくる。



いのちの選別につながる可能性があります。

そんなこと起きっこないって言い切れる?
過去に似たようなことがあったでしょ。
ナチスドイツがしたのは、そういうことじゃないの?

日本だってついこの前まで「優生保護法」の名のもとに
ハンセン病の患者さんに酷いことをしていたじゃないですか、
合法的に。

歴史は繰り返される。
人間は、思ってるほど賢くない。



傷を取り除くのはいいけど
傷のある人を排除する世の中になってはならない、と思います。


          

昨日の中日新聞に
「『文系不要論』の愚かさ」というタイトルで書かれていた社説が
私が考えていたことと余りにぴったりだったので
少し引用します。


文部省が全国の国立大に、教員養成系や人文社会科学系のリストラを求めた。

時代の情勢に見合った組織への脱皮という理屈はわかるが、産業界の利益追求や社会的有用性に奉仕する学問を優遇するという政府の発想が読み取れる。
いわば、稼ぐ力の強化という視点からの改革というほかない。

科学技術はまた独り歩きする面もある。
科学技術文明には公害、地球温暖化、大量破壊兵器といった負の遺産を生み出してきた歴史がある。
その功罪を含めて人間の生存や社会の発展、継承のための「知」を探求するのは人文社会科学の使命である。



がんで苦しむ人がいなくなるような研究は
どんどん進めてほしい。もちろん!

その一方で、
何をしてきた?将来どうしたい?と問い続けることなしに
科学技術だけが発展していく所に
人の幸せがあるとは思えないのです。



なんのために生まれて
なにをして生きるのか。
答えられないなんて
そんなのはいやだ。



長々とお読みくださってありがとうございました。



ありがとうございます

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