1986年W杯メキシコ大会イングランド戦の伝説の5人抜きゴール!
GKシルトンも抜いてシュートを決める直前のマラドーナ。
追記 マラドーナの動画
オランダの名FW 188センチの長身と高度で柔らかい技術
様々なシュートパターンを持つマルコ・ファン・バステン
ユーロ1988年の決勝、対ソ連戦でのスーパーボレーは凄かった!
そのシュートの瞬間。
追記
ファンバステンのユーロ1988のスーパーボレー!
2010年W杯南アフリカ大会の各国の代表が決まってきました。
今回は世界のサッカーで自分的に印象の残ったベストイレブン(1982~2006年くらいまでの間で)を書きます。
「50年代はディステファノの時代」、「60年代はペレの時代」、「70年代はクライフの時代」、「80年代はマラドーナの時代」とも言われる時代を彩ったスーパースター達の時代。
john-mmは1978年W杯くらいからリアルタイムでW杯をTVで観戦。
ディステファノやペレやクライフやベッケンバウアーなどはリアルタイムで観ることができませんでしたが、80年代を中心に・・・
マラドーナを始めとするスーパースターのプレーをテレビなどを通じて観る事が出来ました。
王様ペレと比較された天才マラドーナへの期待・・・
当時、1982年スペインW杯を迎える過程の中で、次々と現れて情報として入ってくるマラドーナのライバル達を知っていく事で・・・
john-mmは、W杯への盛り上がりは最高潮になっていきました。
また、スペインW杯の期待は色々な資料、雑誌、メディア(当時はネットなど普及していなかったので)などを通じてさらに高まっていきました!
大会はマラドーナの悲劇的な出来事(2次リーグ ライバル ブラジル戦での相手選手へのファウルで1発退場、アルゼンチンは2次リーグ敗退)もありました。
しかし、優勝は出来ませんでしたが黄金のカルテットを擁するブラジル、魅惑的なシャンパンサッカーのフランスなどのとても素晴らしいサッカーに魅了されたものです。
その後も次々と現れるスーパースター達。
1978年W杯~2006年W杯ぐらいまで(選手的にはディエゴ・マラドーナからジネディーヌ・ジダンまでと言っていいかも!?)スーパースター達のプレーの分析などjohn-mmができる範囲でしたものです。
1978年W杯~2006年W杯の全部の試合、選手のプレーを観る事が出来たら、さらに面白い選出が出来たかもしれません(汗)
さすがに全部は観れませんでしたが(笑)
以前からボールテクニックに優れて、思いつかないような創造性をフィールドで体現(即興性の高い)出来る選手がjohn-mm的に好み且つ憧れの選手になる傾向は、現在も変わらないようです。
最近は他のスポーツを観たり、現在のサッカーの変化が誘因とも思えますが、「これは!」と思える選手が少なくなった印象で、以前ほどサッカー熱が盛り上がりませんが(汗)
今回は思い出に残る1978年~2006年のW杯を中心に観ることが出来た選手から選考します。
システム(フォーメーション)は3-5-2 MFはディフェンシブハーフを一人(やや無理がありますが)
GK ディノ・ゾフ(イタリア)
DF 右サイド カフー(ブラジル)
センター フランコ・バレージ(イタリア)
左サイド ジュニオール(ブラジル)
MF ディフェンシブハーフ フランク・ライカールト(オランダ)
右サイド ミシェル・プラティニ(フランス)
ゲームメーカー ジネディーヌ・ジダン(フランス)
セカンド・トップ ロベルト・バッジオ(イタリア)
左サイド ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)
FW マルコ・ファンバステン(オランダ)
ロナウド(ブラジル)
全てに優れるキーパー ゾフが正確な判断、ポジショニング。
3バックの穴を見つけての効果的なコーチング、前への飛び出しも鋭く3バックの穴をかなり埋めてくれそう。
安定したダイビングセーブでチームの士気を上げてくれそうです。
MFの底が一人なのが不安なシステムかも!?ライカールトの攻守両面のハイレベルのセンスと名リベロのバレージが素晴らしいカバーをしてくれると期待して。
3バックで、しかもサイドバックの二人カフーとジュニオールは守備も素晴らしいが、攻撃を得意とする選手。
その不安もあるので
試合を通して、本来ディフェンシブ・ハーフのライカールトがストッパーを主にバレージとセンターでコンビを組む傾向で(ライカールトはセンターバックもやっていて出来る且つ抜群の身体能力、守備センスがあるので)
攻撃が機能したところで、ライカールトにはやや上がりつつミッドフィールドの近くでそのパスセンス、守備で本来のディフェンシブハーフとしての活躍をしてもらう。
二人のサイドバック 右のカフーの抜群の縦の突破は同じ右サイドの将軍プラティニと絶妙なコンビプレーをしてくれるでしょう。
長い距離を走るのが素晴らしかったカフー、プラティニの正確無比なパスと相性も良さそう。
左のジュニオールは元々はMFの選手、その高度な技術、戦術で
自在に動き回るマラドーナとのコンビプレーや、マラドーナが下がった時は、マラドーナ、ジダン、バッジョ、プラティニなどに使われ一気にオーバーラップを仕掛けてチームに貢献してくれるでしょう。
MFは底からライカールト、ジダン、バッジョと縦に並び、サイドにプラティニ、マラドーナ。
組み立てるのはジダンが中心に。
その抜群のキープ力、ドリブル、パスで中盤を3人分くらいの仕事をしてくれそう。
プラティニは視野が広くロングパスにおいては歴代NO.1の印象で、中央に置きたかったですがジダンがいるので・・・
その代わりフィジカルも強くウイング的な動きも良いので、得意の右サイドでそれを活かす。
且つ、その正確な右足で素晴らしいサイドチェンジやクロスやスルーパスなども期待できそう。
バッジョがジダンが中心に組み立てた中盤にファンタジスタと呼ばれるに相応しい変化を加えて、前線に効果的な攻撃をもたらしてくれるでしょう。
ロナウドが右ウイングもこなしてくれてフィニッシュにも貢献・・・
左ウイングはMFの仕事と共にあの天才マラドーナがこなしてくれそう。マラドーナはセカンドトップに置きたかったですが、MFはポジションにこだわらない流動的なシステムをとるため、一応のポジションと考えて。MFからFWと縦横無尽にその天才ぶりを発揮してくれるでしょう。
ストライカーらしいストライカー ファンバステンが柔らかく、強く、高度なキープ、ドリブルで様々なゴールをしてくれるでしょう。
イタリアの至宝 ロベルト・バッジオ
フランスの将軍 ミシェル・プラティニ
フランスの先輩 将軍プラティニがストライカーの要素も併せ持ち、長短に抜群のパスセンスを持ち味にするなら、ジダンはそのキープ力、ドリブルを持ち味にゲームを組み立てる。もちろんパスセンスも高度。
歴代NO.1と言っていいゲームメーカー
ジネディーヌ・ジダン
追記
短くまとまったジダンの動画
追加で
左足の鋭いドリブル、キープとシュートのラモン・ディアス(アルゼンチン)
john-mmが初めて観たサッカーの国際大会は・・・
20歳以下の代表チームで18歳のマラドーナがキャプテンとして出場した1979年に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権。
大会のアルゼンチンの試合は全部は観れませんでしたが(汗)(マラドーナのプレーも全部は観れませんでした)
マラドーナは6得点、大会のMVPに。
チームメイトには後に横浜マリノスでプレーし、Jリーグ初年度(1993年)の得点王に輝いたラモン・ディアスも。
ディアスはその1979年FIFAワールドユース選手権で得点王。
このラモン・ディアスのFWとしての鋭いプレーが、あまりサッカーを知らない頃のjohn-mmにとってはマラドーナと共にとても印象的!
この頃は得点する選手が魅力的でした!
その素晴らしい鋭いキックはディアスにとっても残念だった1982年W杯スペイン大会(ディアスにとって最初で最後のW杯)でも発揮されていて、アルゼンチンにとって1次リーグ初戦のベルギー戦や2次リーグのイタリア戦、ブラジル戦(ブラジル戦では得点)でも鋭い身のこなしとシュートを披露。
特にイタリア戦でのマラドーナが二人のDFの間を反転しながら巧みに通すパスを受け取ったディアス。
確か胸か太ももでトラップしてからの反転しながらのシュートは素晴らしすぎた(惜しくもイタリアの名GKディノ・ゾフにに阻まれる)
⭐️追加で⭐️
イタリアの天才児ジャンカルロ・アントニオーニ
1982年W杯スペイン大会の決勝は負傷で出れず、W杯の前の頭蓋骨骨折の完治から時間も短く大会に出たので、序盤はもう一つの出来。
が、2次リーグ、対アルゼンチン戦、対ブラジル戦で復調した印象で活躍。
ロッシ、ゾフ、コンティなどと共にイタリアの中心で優勝に貢献した天才肌のプレーヤー、アントニオーニも高いボールテクニックと精度の高いパス、かっこいいルックスで印象的でした。
追加で
「ベストイレブン 番外編」 でも紹介のルート・フリット(オランダ)
黒人選手ならではの関節の柔らかさを生かした独特のトリッキーなプレー、元々リベロだったその万能性。
マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトと共に80年代のイタリアのACミラン、オランダ代表で大活躍のオランダトリオの一角。
ファンバステンとライカールトがこのブログでのベストイレブンに入っているのに対して、フリットは残念ながらベストイレブンには選べませんでした(汗)
が…破格の才能を残したまま引退した印象で、更にその能力が開花すれば歴代NO.1プレーヤーになったかも!?と思えた怪物がフリットでした。
非常に高い身体能力、フリットのヘディングでの高い打点の瞬間。
ユーロ1988年決勝 対ソ連戦
海外のサッカー選手で初めて観たのが、イングランドの歴史的な選手マイティ・マウスと呼ばれたケビン・キーガンだったと思います。
そのプレーは素晴らしかった。
追加で
Jリーグが発足する(1993年)の前の日本リーグ時代から日本選手も観ていました。
当時は高校サッカーから日本リーグやJリーグで活躍しそうな才能のある選手も調べていました。
当時の有力選手は日本リーグのチームに所属。
プロではないですが読売クラブ、日産、ヤンマーなどから素晴らしい選手達が現れました。
特に中田英寿選手の前の日本の代表的な中盤のゲームメーカー、攻撃的MFと思える日産(日本リーグ)や横浜マリノス(Jリーグ)や日本代表で大活躍の木村和司さんのプレーは思い出深いです。
1985年W杯メキシコ大会最終予選の韓国戦でドリブルで突破を図る木村和司
虚を衝くスルーパス、長短に正確なパス、状況判断の良さ、中盤での創造性溢れるボールキープ、元は右ウイングならではの突破、そして1985年W杯メキシコ大会最終予選の韓国戦での40メートルのFKなどに代表される正確なキック・・・
現在の日本サッカーの中盤選手の原型を作ったと思えるプレーが素晴らしかった。
追加で
高校サッカーでは・・・
東京の名門 帝京高校の天才 磯貝洋光選手(後にガンバ大阪)や、埼玉の武南高校の天才 上野良治選手(後に横浜マリノス)や、北海道の室蘭大谷の天才 財前恵一選手(後に日産自動車、横浜マリノス。弟の財前宜之選手は兄以上で中田英寿選手をも唸らせた天才。あまりプレーを観た事はありませんが)など・・・
やはり世界の選手同様にゲームメーカー、攻撃的MFのプレーに注目。
その将来性に当時はワクワクさせられました。
高校サッカーを熱心に観たのは・・・
和製フリットと呼ばれた京都府山城高校で活躍の石塚啓次選手(読売ヴェルディなど)くらいまで・・・
当時、ユース代表を数多く揃えた当時の帝京と・・・当時、磯貝と共に最も注目された同い年の名手 沢登正朗選手(後に清水エスパレスや日本代表で活躍)を中心とした東海大一(静岡)との準々決勝(第66回高校サッカー選手権大会)は素晴らしかった。(東海大一のPK戦での勝利)
当時の高校サッカーの選手として
ドリブル、パス、シュートと素晴らしい能力を見せた
磯貝洋光
⚽追加⚽
上記の高校サッカーのスター達。
それ以前から高校サッカーを観る事が出来ていてjohn-mmはハマっていきました。
昭和57年度第61回全国高校サッカー選手権大会のサッカー王国静岡の清水東が全国優勝、山梨の韮崎高校が準優勝の大会や・・・
翌年の第62回全国高校サッカー選手権大会の前年度優勝の清水東と東京の名門帝京の決勝、大会全体などは特に熱心に観たかも!!?
当時「釜本邦成選手の再来、期待の大型ストライカー」と評判の1年生で活躍のFW武田修宏さん(現在タレント)+清水三羽烏と言われて、後にJリーグや日本代表や監督としても日本サッカーに貢献していくDF堀池巧さん、FW長谷川健太さん、MF大榎克己さん(第62回大会では全国一の評価の選手でした)を擁する清水東に帝京が1-0で勝利した試合は・・・
john-mmが観た高校サッカーの試合の中で最も印象的かも!?
第62回大会のスター 大榎克己(清水東)
上記の磯貝洋光選手は帝京入団時に、この大榎克己選手にプレーが似ていると言われていました。
大榎克己選手はスケールが大きく、その状況に応じて的確にシンプルに効果的にプレーに結び付ける力は将来ワールドクラスの選手になるとの評価もありました。
この試合は当時の高校サッカーの名MFの一人、帝京の平岡和徳選手(後に高校サッカーの監督に)の正確無比な左足(確か利き足ではない)のループパス(クロスと言った方が良いかも!?)をFW前田治選手(後に日本リーグ、Jリーグ、日本代表で活躍)がハーフボレーで見事に決めたゴールでとても印象的!
他・・・高校サッカーではそれぞれ高校で大活躍、日本代表にもなった二人。
鹿児島実業の高速ドリブラー 前園真聖選手(横浜フリューゲルスなど)、四日市中央工業校のレフティモンスター 小倉隆文選手(名古屋グランパスエイトなど)や
前記の磯貝洋光選手のチームメイトで小柄ながら素晴らしいストライカーの森山泰行選手(名古屋グランパスエイトなど)
1年生時から高校トップレベルのFWとして大活躍、日本代表にもなった清水商業のエース山田隆裕選手(横浜マリノスなど)
前記の大榎克己選手の1年上、ユース代表などで活躍して選手権ベスト4と準優勝の原動力になった韮崎高校のエース保坂考選手(サッカー指導者)
前記の財前恵一選手と同学年、高校総体優勝、選手権準優勝に貢献、優れたゲームメーカー、アタッカーだった国見高校の其田秀太選手(サッカー指導者)
などが印象に残っています。
追加
ポルトガルのルイ・コスタも好みのプレーヤー。
ルイス・フィーゴなどと共にポルトガルの黄金世代。
最も選手として調子の良かった1994年、1998年W杯などは出場出来ず、2002年W杯出場も予選敗退。
が、素晴らしいゲームメーカーの一人として印象に残っています。
その頃は同世代のジネディーヌ・ジダンやブラジルのリバウドも大活躍。
80年代のマラドーナ、ジーコ、プラティニ達がいた時の頃のゲームメーカー、攻撃的MFのタレントの多彩さを感じてワクワクドキドキ。
ルイ・コスタ
これから各ポジションごとに少しですが、ベストイレブン選出の選手の印象を書いていきます。
追加 おまけ
前記で登場の天才マラドーナや・・・
サッカーの王様ペレ(ブラジル)、皇帝フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)、空飛ぶオランダ人ヨハン・クライフ(オランダ)、異端児ジョージ・ベスト(北アイルランド)のサッカーのレジェンド達!
マラドーナと共にサッカーの歴史で傑出した存在。
両足が変わらずに使えて、FWとして大活躍しましたがMFとしても能力が高い。
100メートルを10秒台で走り、身体能力が高く、次のプレーの予測が難しく、今見ても新しく感じられる創造性溢れるプレーの数々。
判断とアクションが速い。リベロというポジションを確立した優れたプレーヤー。
そのプレーはまさしくリベロ、タイミングの良い攻め上がりで攻撃の起点、組み立てに貢献。
元MFで攻守万能の名選手。その功績は大。
ペレ引退後の70年代の天才。軽やかな身のこなし、テクニックの多彩さ、ずば抜けたスピード、突破力、そしてクライフターン!オレンジ旋風のトータルフットボールを指揮したスーパースター。
短い選手時代でしたが、かっこいいルックスとマジカルなドリブルでマンチェスタ-・ユナイテッド時代に大活躍したスタープレーヤー。
サッカーの王様ペレ(ブラジル)、皇帝フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)、空飛ぶオランダ人ヨハン・クライフ(オランダ)ジョージ・ベスト(北アイルランド)の前のサッカーのレジェンド達!
「金髪の矢」と言われたフィールド上であらゆるポジションをこなした超人。
ペレ以前の50年代のスーパースター。
伝説的なレフティー。
50年代のマラドーナとの評価も!
ソ連が生んだ名GK。ブラック・スパイダーと呼ばれ、判断力、守備範囲の広さ、セービングと完璧な選手。
フルバックの攻撃参加を初めて見せた先駆者。
陸上選手としても優れ、今なお語り継がれる素晴らしい左サイドバック。
また書き込みます。