新年1月をすっ飛ばして
2月が2024年最初のブログになるとは
昨年は
4月の再発した食道癌のESD(内視鏡切除)が節目だった
「今はいいけど傷が塞がってくると
狭窄が出てくるから気をつけて」と言われていた
で、6月頃から飲み込みが悪くなってきたけど
今にして思えばあれは
一昨年10月〜12月の咽頭癌放射線治療の後遺症の方が強かった
再発食道癌のESDをもう少し遅らせておけば_
と今更ながら思えど、ね
食べ物が"食道に落ちていかない"という感じだったもんね
夏のそこそこハードな仕事から解放された10月くらいから
体力はガタッと落ち
めまい・ふらつき・複眼(モノが二重に見える)は常に
一過性脳虚血発作(の疑い)、甲状腺機能低下症…などなど
癌とは直接関係のない不調が重なり
年末に向かって下り坂
12月の定期検診での内視鏡検査は
4月の食道ESDの狭窄が進んで一番細い内視鏡が入らなかったということで
『消化管内視鏡的拡張術』を勧められたが
しかし結局
何を口にしても全て噎せて飲み込めなくなってしまい
1月29日(月)
「ちゃんと何らかの処置をするまで
帰しませんからね!」
と怒られつつ入院
内視鏡拡張術の空きが出るのを待つことになったのだけど
4日後の2月2日の早朝
噎せ込んで溢れた痰が肺に流れ込んで心肺停止に陥り
ICU行きになってしまいました
チューブを挿入して様子を見るも3日後気管切開
人工呼吸器に繋がれて一般病棟に移り現在に至る
…と言うわけで
私の新年はまだ開けていません
…うん、自分でも分かってたよ、無理してたこと
夏の2本の仕事は地方出張で集団行動だった事もあり
食事時間が決まっていて量はほとんど食べれない
ランチなんて2食くらいしか記憶に無い
"詰まる・吐く"を避けるため日中は固形物を避ける
締め切りが近く2日・3日晩の徹夜は避けられない
スーツケースを自宅⇄現地に宅配便で送った事も初めて
帰りの寄り道が何より楽しみだったもんなぁ…♪
自力で引っ張って移動できない事が分かっていたから
「よく生きて戻ったなぁ」
終わったばかりの頃は達成感から冗談を言っていたけど
健康な時でもハードに感じてた仕事は
体内の”貯蓄”を使い果たしてしまったんだろう
でも今は
放心状態_というか安堵した気分でベッドに転がっている
人工呼吸器始め色んなものにつながっているので
ほとんど自由には動けないんだけど
しかしこの入院、門前払い食らっても文句は言えなかった
主治医の"治療の指示に逆らった"結果、起こったわけで
そうであれば間違いなく
2月2日午前4時44分、私は自宅で死んでいたんだから
今回も私は自分の悪い癖にハマってしまった気がする
問題が起こっても一人で抱え込み
…相談できる人なんていないもんなぁ
もろもろ仮説を立てて動くも空回りしまくり
最後は自爆……ってパターン
33債・41歳(癌ね…) で、50歳か…
毎日のリハビリは医師と看護師・ICU担当者・呼吸器の管理者と
必ず4人ついてくれるし
今日はICUから5人で状態をチェックしに来てくれたし
人工呼吸器が大きくて手狭だからと看護師さんが4人で
リハビリしやすいようにと部屋のレイアウトを整えてくれた
私一人のために
これだけの人が丁寧にチェックし動いてくれる…
もう
申し訳ないやら恥ずかしいやらで
人前にも関わらずボロボロ泣いてしまった
しかし現実は何もかも中途半端なままだ
父が出て行った後の2人の生活を少し縮小して
方向性を早めに決めないと…と思って動いていたが
50の独身女と老人の2人暮らしなんて選択肢は少ない
母の変化は私が思っていたのとは真逆だった
私が仕事で地方にいるのを理解していなかったり ←焦るわ〜
俄には信じられない"被害妄想"的な事を言い出し
それが私のメンタルに連動している事も分かってきて…
もうちょっと
しっかりして欲しいんだけどなぁ
…あ、私が悪いのか
とにかく…
まだ退院も見えてないんだからこれからです