原人の会と明石原人まつりの区別 | Tree Topの魔女たち

Tree Topの魔女たち

JR大久保駅前にあるちょっとだけスピリチュアルな喫茶店Tree Topに集まる魔女たちのブログです。


Tree Topの魔女たち


昨日、Tree Topはお休みでしたが、夜は「原人の会」の新年会がありました。

写っていませんが、明石原人まつり実行委員長もいました。


「原人の会」と「明石原人まつり実行委員会」は、まったく別のものなのです。

「原人の会」は明石原人に始まる明石の歴史を勉強する会です。

「明石原人まつり実行委員会」は明石原人まつりを実施するために集まっている組織です。

ただ、若干 メンバーはかぶっています。


というのも、画像の中の白い人…本屋さんのY氏ですが・・・彼が原人まつりの実行委員長をしていたからです。


サラがTree Topを始めた頃、海外に行くのが好きで(雑貨を仕入れにいくという口実で、あちこちちょろちょろしていました) 当時 発行されていたAB Roadという雑誌を毎月 かっていました。

Y氏は本屋さんなので、この1冊350円の雑誌を届けに来て 400円のコーヒーを飲んで帰るのです。


そんなある日(多分 4月頃)、サラは無責任に 原人まつりに企画の提案をしたのです。

国際交流したらどう?

Y氏は「そりゃぁいい!」とこのアイディアを持ち帰り、数日後にまたお茶を飲みに来ました。

「あのアイディア、みんなに伝えたら、みんな大賛成だって。今度 会議に顔出して。」というのです。

サラは、もともと無責任に提案していて、そんなところに出る気もないので、「う~ん…」とごまかしていたのですが、Y氏は何度かお茶を飲みに来て、そのたびに誘うのです。

「30分だけ、顔出して」と言われて、とうとう5月のその日、会議の時間には相当遅れて会場をのぞきました。

そしたら、50人ほどがぎっしりとテーブルを囲んでいるところでいきなり「ただいま 国際交流の担当者が来られました。さっそく、説明していただきます。」と紹介されてしまいました。


以来、20年近く、原人まつりにかかわることになったのです。

その後、実行委員長は、Y氏から、私を「国際交流担当者」と会場で紹介した当時の事務局長M氏に引き継がれ、その3年後、現在の実行委員長へと渡されました。

だから、現在の実行委員長はかれこれ10年以上 実行委員長をやっています。


人のめぐりあわせというのは本当に不思議なものです。

もし、サラがY氏と会わなかったら、原人まつりなんてしていなかったし、そうしたら、今みたいにイベントのプロデュースもしていなかったと思います。


サラは、原人まつりの話をする時、よく「Y氏に騙されて こうなった」と言います。

これはほんとのことです。

でも、騙されたけど 感謝しています。

世界は確実に広がったし、その世界で使える自分の能力を見ることができたからです。


だから、頼まれたことは基本、断りません。

「はい、喜んで!」 そのくらいの気持ちでやってみます。

自分の可能性を見るのは、とても楽しいものです。