画像は、マグダラのマリアカードです。
このカード、日本語訳が出ていなくて、全部 英語なので これを翻訳してほしいと頼まれました。
こういう世界はなじみのあるところなので、英語を読めばほぼ言いたいことはわかりますが、時折 どう訳したらいいかなとぴったりな日本語がみつからなくて 辞書を引くことがあります。
う~ん…これがつらいのです。
かつてのようには見えないので、ここで疲れます。
マリアカードという名前なので、多少 宗教チックな部分はありますが、全体的には「自分を受け入れましょう」というメッセージです。
あとは、「起こることにはすべて意味がある」「怖れを手放して、信頼すれば、天があなたを導いてくれます」的なことです。
特に反対はしません。
西洋の精神世界的な考え方よりは、少し柔らかいかなと思えます。
ただ、やっぱり神は偉大で、なんでもできて、人間がどうなるかも神に権限がある感じに描かれています。
だから、神の機嫌を損ねてはいけない みたいな扱われ方は否めないところです。
サラも、以前は何の疑問もなく そんな風に思っていました。
でも、約10年ほど前から 神との付き合い方が変わってきました。
友達づきあいするようになったのです。
精神世界で言われるように、私たちが神の一部であるなら、大本の神とは同質のものなので、元がエライわけではないですし、神が私たちに「バチ」を当てるなんていうのは、右手が左手を叩くような話なわけで…
「感謝」もことさら意識してはいません。
神様は、私の大切なお友達なので、私は一緒に遊ぶのです。
私が楽しいと思うとき、一緒に遊んでいる神もきっと楽しんでいます。
一緒に何かを成し遂げた時、その結果によらず 神とゆっくりお茶を味わいます。
一緒にやったから、どっちが頑張ったとか、どっちのおかげとか言いません。
でも、一緒にやってくれたことを喜びます。
そのことを「感謝」というなら、感謝していますが、それは相手も同じであるはずです。
必要だから、じゃなくて、一緒にいることが楽しいから、悲しいことも一緒に楽しめるから一緒にいるので…
こういう考え方って、ずっと昔はあったと思うのですよ。
道祖神とかお地蔵さんとか…
神様も仏様も、狐も狸もみんなお友達でしたから…
えーっと、今日は特にオチはありません。
もうちょっとで翻訳も仕上がるので、ガンバリマス。
今晩は「原人の会」の新年会なので、あと1時間ほどやったら 準備に行きます。