遠く、上野の上空を軽気球が上がっていた。池袋の停車場へかかった時
両足を 汽車に轢かれて真っ青になって倒れている若い男があった。
僕は そうした人を見ると、こんな平常なら歩けない所を歩くのだから
轢かれる人が無いとも限らないと思った。
余程 気付かなければ、こんなことが有るのだ と思った。
で、僕こそは 汽車に轢かれたり怪我などしてはならないと思った。
僕の心には、家へは何時帰ろうとも 我侭(わがまま)をなしたものだから
自ら作った罪であり恥である と覚悟して
「故郷へ!」
の他に何者も無かった。
*
裸足で歩むのは足が痛んで苦しかった、悲しかった。
漸(ようや)くの思いで田端へ着いたけれど、駅夫に聞くと
上り列車は、客の多い時は日暮里迄行くし 少ない時はここで止まると云うので
少しの間 待ってみたが、汽車は来なかった。
又、駅夫は日暮里迄行った方が好いだろうと云うので
僕は、もう歩むのが難儀でならなかったけれども
日暮里へ行った。
而(しか)し いくら待っても、東北線は起っても 僕が頼る汽車は来なかった。
*
僕は、あの瓦礫の臭いのする 嫌な所に暫く待っていた。
どの駅も どの駅も避難民で埋もれて居た。
僕は到頭(とうとう) 又、田畑へ引き戻ってしまった。
そうしたうちにも、不逞鮮人の声は彼方此方に起こった。
*
若し僕は、汽車に乗れなかったら ここで御飯を戴いて休もうと思っていた。
大宮へ行けば乗れるという噂も有って、駅夫に聞いてみたけれども
道のりは、可成り有る様だったので 止めてしまった。
続く

