関東大震災の記~vol.18・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)


遠く、上野の上空を軽気球が上がっていた。池袋の停車場へかかった時

両足を 汽車に轢かれて真っ青になって倒れている若い男があった。


僕は そうした人を見ると、こんな平常なら歩けない所を歩くのだから

轢かれる人が無いとも限らないと思った。

余程 気付かなければ、こんなことが有るのだ と思った。


で、僕こそは 汽車に轢かれたり怪我などしてはならないと思った。

僕の心には、家へは何時帰ろうとも 我侭(わがまま)をなしたものだから

自ら作った罪であり恥である と覚悟して

「故郷へ!」

の他に何者も無かった。



裸足で歩むのは足が痛んで苦しかった、悲しかった。

漸(ようや)くの思いで田端へ着いたけれど、駅夫に聞くと

上り列車は、客の多い時は日暮里迄行くし 少ない時はここで止まると云うので

少しの間 待ってみたが、汽車は来なかった。

又、駅夫は日暮里迄行った方が好いだろうと云うので

僕は、もう歩むのが難儀でならなかったけれども

日暮里へ行った。

而(しか)し いくら待っても、東北線は起っても 僕が頼る汽車は来なかった。



僕は、あの瓦礫の臭いのする 嫌な所に暫く待っていた。

どの駅も どの駅も避難民で埋もれて居た。

僕は到頭(とうとう) 又、田畑へ引き戻ってしまった。

そうしたうちにも、不逞鮮人の声は彼方此方に起こった。



若し僕は、汽車に乗れなかったら ここで御飯を戴いて休もうと思っていた。

大宮へ行けば乗れるという噂も有って、駅夫に聞いてみたけれども

道のりは、可成り有る様だったので 止めてしまった。


続く


業界最安値のアルピナウォーター


裏・風景回廊:BSoSG はコチラ