向こうから 島袋君が、コツコツやって来て
「君!もし僕が 何処へ行ったかって家の者に尋ねられたら、
一寸親戚の所へ行って来るからって云って呉れ給え。な!」
と、言ってきた。
そして、彼は神田の方へ 僕らは新宿へ帰った。
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その夕方 もう各方面から、
不逞鮮人!と云う声が起こってきた。
木村君が遅く帰ってきて
「貰ったバナナをやってね、望遠鏡と替えて来たんだ」
と、云って
一寸焼けた望遠鏡を持って来た。
実際そうした高価な器械類も、この場合
空きっ腹には、聊か(いささか)の糧にもならなかったのだ。
夜は焼野の仮小屋に憩うことにした。
大勢の友達は、前夜に引きかえて寝心地悪しく
布団も着ないで眠ってしまった。
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次の3日の朝、先に起きた友達のざわめきに目を醒ますと
もう夜は白々と明けていた。
その日は別に、遠くへは遊ばずに
壁土や硝子かけが落ちて埃だらけになった家を
掃除することになった。
あの奥さんが痩せた而も青い顔をして
でも、元気有りげな声を張り上げて、常の様に
ベラベラと世話をやく態度といったら
全く癪だった。
僕が色々な荷物を持ち込んだ、二階の勉強室で
一寸髭を鋏んでいる時など、
わざわざ昇ってきて喋くっていた。
僕らが大勢で家中の荷物を運んだのも思わずに
増長したものだ。
掃除が終わって、二食に耐えられない者は
炊き出しをしている御苑の入り口へ行って食べてきた。
又、淀屋の後ろや 遠くから缶詰を探して来る者があって
ナイフで切り開いて食べたりしていた。
中には神田方面から、矢張り缶詰を探し集めて
それを針金で結わえ付けてきた所、九段坂の辺りで
巡査に調べられた者もあったそうだ。
朝◯人と間違えられそうになった者もあったそうだ。
夕方に至って、便所へは「入る事を禁ず」
なんて張り紙がされて
皆の者は、向こうの焼け跡へ行ってやって来た。
その夜は、多分 家の中に寝た事と思うが
混乱に紛れて判然と覚えていない。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)
