関東大震災の記~vol.11・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

その辺の迂回した道から四ツ谷の角へ出た時、
向こうから 島袋君が、コツコツやって来て
「君!もし僕が 何処へ行ったかって家の者に尋ねられたら、
一寸親戚の所へ行って来るからって云って呉れ給え。な!」
と、言ってきた。

そして、彼は神田の方へ 僕らは新宿へ帰った。



その夕方 もう各方面から、
不逞鮮人!と云う声が起こってきた。

木村君が遅く帰ってきて
「貰ったバナナをやってね、望遠鏡と替えて来たんだ」
と、云って
一寸焼けた望遠鏡を持って来た。

実際そうした高価な器械類も、この場合
空きっ腹には、聊か(いささか)の糧にもならなかったのだ。

夜は焼野の仮小屋に憩うことにした。
大勢の友達は、前夜に引きかえて寝心地悪しく
布団も着ないで眠ってしまった。



次の3日の朝、先に起きた友達のざわめきに目を醒ますと
もう夜は白々と明けていた。

その日は別に、遠くへは遊ばずに
壁土や硝子かけが落ちて埃だらけになった家を
掃除することになった。

あの奥さんが痩せた而も青い顔をして
でも、元気有りげな声を張り上げて、常の様に
ベラベラと世話をやく態度といったら
全く癪だった。

僕が色々な荷物を持ち込んだ、二階の勉強室で
一寸髭を鋏んでいる時など、
わざわざ昇ってきて喋くっていた。
僕らが大勢で家中の荷物を運んだのも思わずに
増長したものだ。

掃除が終わって、二食に耐えられない者は
炊き出しをしている御苑の入り口へ行って食べてきた。
又、淀屋の後ろや 遠くから缶詰を探して来る者があって
ナイフで切り開いて食べたりしていた。

中には神田方面から、矢張り缶詰を探し集めて
それを針金で結わえ付けてきた所、九段坂の辺りで
巡査に調べられた者もあったそうだ。
朝◯人と間違えられそうになった者もあったそうだ。

夕方に至って、便所へは「入る事を禁ず」
なんて張り紙がされて
皆の者は、向こうの焼け跡へ行ってやって来た。

その夜は、多分 家の中に寝た事と思うが
混乱に紛れて判然と覚えていない。

続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)