いやらしい玄米のご飯をいただくと、
島袋君と 他の埼玉県だかの君と僕の三人で
又、焼け跡を見に出かけた。
ずうっと2日の日、帰りに通った四ツ谷から九段の方へ出て
神田の何町だかの青物市場の焼け跡で
地下室に残ったバナナを沢山貰い、充分食べた後残りを
丁度この辺で何かの宴会の帰りに、ご馳走を手拭いの端に包んで
提げて来るようにして、それを肩に擔(かつ)いだり
手にぶら下げて 上野の方へと向かった。
平常の豊麗さや、高雅な過去に引きかえて
あの焼け出された有様と云ったら
何という惨憺たるものだったろう。
美しい並木も それを前にして、甍(いらか)を競った金殿玉楼も
夢の様に灰と化して、漸くにして運び出した その荷物を
道の両側に重ねて、拾い集めた灰まみれのトタン板で
蔽ってあった。
そして、常には見る事も出来ない 哀れな風をした町人が
水を得ようとして、ビールの空き瓶を手にして
ポンプの周りへ集まって居た。
又、幼い子を背にした婦人が
「父さん!!」と云って
もう後の言葉もなく、メソメソ泣いていた。
広い広い町は、電車線まで潰れ込んで
その狭い所を 人通りは絶え間なく続いた。
上野公園の雑踏と云ったら、もう口にては云い尽くせない程だった。
・
僕らは、不忍(しのばず)の池に添って居る
電車道に近き坂道を登って行った。
避難民は、公園一帯を 埋め尽くしていた。
散り散りになってしまった家族を探そうとして
何町の何とか、紙に書いたものを
棒の先に付けて 声を限りに叫び歩いたりして
その落ち着かない ざわめきと云ったら
まるで蟻の巣を壊した様な、目も当てられない侘しさと心細さ
物憂さがあった。
そして、その中を何処とも構わずに歩き回って行く僕らにも
何かしら 落ち着かないものが、心に付き纏っていた。
・
次へ次へと歩いていくと、人が黒山の様に集まって居る所へ出た。
近づいてみると、そこには沢山の*鮮人が 警官に集められていた。
その*鮮人や、又時々お巡りさんから連れられて来た*鮮人は
大概、傷つけられて血まみれになっていた。
中には、もう倒れたなり身動きもせず打つ伏している者もあった。
それらの者は皆、細い縄に繋がれて
頻りと何処かへ貨物自動車で運ばれていた。
お巡りさんや兵隊さんは、頻りと群衆の近寄るのを制していた。
小さな子を背にして、困り抜いたように
「どうか、近寄らないで下さい!」
と、お願いする様に云っている 気の毒なお巡りさんも居た。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)
