関東大震災の記~vol.09・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

ブラブラ行くと、先になった木村君が
何か灰の中を探していた。

その傍には、

真っ黒になった、14~5才位の者の死体が
横たわっていた。

僕は、少し歩んで濠(ほり)に添って
垣を巡らして有る所に休んだ。

そこには、色々な缶の焦げたものや
菓子の焦げたものなどが一杯あった。

菓子屋の跡なんだろう。

山本君だかが、何か有りそうな
重そうに焦げた缶の一つを持ってきて

「おい、取って見ろ」

と、秋田県の一寸発音の違った言葉で云うので
中から取り出してみると、
有った有った

「おい、食べろ食べろ」と掴み出して
お腹の透いた所を幸いと、皆頬張って食べた。

木村君は、どうしたんだろうと思っていると
彼は、手拭いの端にナイフを一ぱい包んで持ってきた。
それを見ると、皆は欲しさに堪えられず
呉れ呉れと云ったが、

彼は
「行って見たまえ、まだ一ぱいあるよ」
と云うので、僕らは、
また引き返して木村君の探していた後へ行ってみた。



そこは、前の黒焦げの死体の有る所だった。

探してみると沢山あった。しかし焼けているんだから
使用に堪えるものは殆どなかった。
けれど、僕らは棒を持って 熱い灰をかき回して
漸く焼けていないヤツを見つけた。

こんなものを拾って、満足した僕らは
また歩みを続けた。

氷庫から氷を貰って、トタンの上に乗せて引いて行く者や
手拭いの端や空き缶に入れて持って行く者が 沢山有った。

その辺りで、木村君とはぐれてしまい
僕らは、四人で歩いた。
神保町を通ると沢山の学校があったという中で
唯、電気学校や僅かの学校が危うく残っているのみだった。

道の彼方此方に、少しばかりの荷物を守って
家もなき哀れな人達が
「明日、大阪から お米が沢山来るんだって云うよ!」
と、嬉しそうに 僕らに迄告げて
その食物を得られることを非常に喜んでいた。



僕らはそれから北へ歩んで交差点に出、
尚、西へ向かうと、
あの九段坂の下の橋が落っこちていて
唯 電車路のみがレールに繋がれてたるんで残っていた。

そして、その橋の所には
人が渡らないように巡査がついているにも拘わらず
隙を盗んで渡ろうとして叱られている者もあった。

皆の人は、川べりを歩いて
ずっと北に有る橋を渡った。僕らも矢張りそこを通った。

向こう側へ行くと、まだ石炭がどんどん燃えていて
歩いているのに顔が熱かった。
また、赤灰色に焼けた中には

そこ、ここと金庫のみが
ただ立って居る所もあった。

続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)