関東大震災の記~vol.08・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

$風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察-震災06
あっちこっちと歩いて 宮城の南へ出た。
そして、また濠(ほり)に添って北に曲がり
焼けたり倒壊したビルディングの傍らを通り
東京駅の前に出て(東京駅は壊れずに居た)又 北側に抜けた。

何しろ、色々と歩いたのだった。

広瀬中佐と杉野の銅像のある須田町辺りも通った。
矢張り焼野は 涯てなく続いて、その惨状云うに難しだった。
高架鉄道の下を通って、何橋だかを渡ろうとした時

また地震がよった。



東京日々や報知などの新聞社は、危うく助かっていて
僕らは、その間を行った。
その時、

広い町の向かいは、まだ煙に包まれ
物凄い有様だった。

高架鉄道の下も皆燃えていた。大概は工場らしく
色々の器械が 焼け残っていた。

その下を又潜って、あの
僕がよく行った 職業紹介所の前に出た。
その三階建てだった紹介所も
矢張り、焼け潰れてしまって跡形もなく
唯、濠の傍らに築かれた石垣の上に
瓦や 灰が残っていた。

そして、あの よく受話器を耳にして
細い而も デリケートな目をむけた
17~8才の女事務員など、
どうしたのだろうかと
その行き先も忍ばれた。



それからすぐ交差路に出たが
あの神田橋は落ちてしまい、その付近には
数台の電車が、並んだまま焼けていた。

その前にも、通ってきた所には
そういう所が、どの位あったかしれなかった。

橋が落ちてしまったので、向こうへ行こうとする者は
皆、水道の鉄管を渡した上を 危なげに渡っていた。

濠に添って、ブラブラ歩いて行くと

その辺には、道の真ん中に

どうして死んだのか
3~4人ずつ 灰色の死体が並べられて
その上に、トタンの焼けたもの等が
被せられてあった。

乗り物が無いので、総てのヒトは皆
ひたすら歩いていた。

死体の上のトタン板等を覗いて
見ていく者もあった。



こうした時の気分とか情緒とか
総ての精神状態は、全く平常とは
打って変わったものだった。

被災地をさながらに、心までが
病的に なっていたのだろう。

僕らの目にも、唯 単なる死体としか映じなかった。

続く

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)