その日からは、片方は町 片方は焼野で
燃え去りの 半ば潰れ込んだ、歩みにくい狭い道を
人通りは、かなり混雑した。
何処かの穀屋から 玄米が運ばれて
女中の としちゃんや北隣りのお嬢さんが
道の傍らに窯を据えてご飯を炊いた。
そして、随分と朝飯が遅かった。
もう それからは、玄米の二食で居ることになった。
・
ご飯が済むと、僕らは あまりに呑気な話だが
焼け跡の見物に行くことにして
北海道の木村君と 秋田県の山本君、沼里君、大阪の石川君
それと、僕の5人で出掛けた。
先ず、電車道を東へと歩きはじめた。
僕は ひと月以上も居たのだが
覚えようとしなかった為か、本当に町の名を知らなかった。
神田や千住やと行く時はあっても
一寸出かける時は、電車を利用するので
電車に任せて 覚える気がなかったのだ。
いや、そんなことは 永く居るうちには何時か
覚えられるのだろうと思って、更に無関心で居たのだ。
とにかく、僕らはズンズンと行って新宿1丁目を通り越し
四ツ谷の角まで行くと、左側が
何か壊れているとみえて、通れないので
ひと町除けて向こうへ出た。
そして、濠を越してまっすぐに行った。
その辺は、まだ盛んに燃えていた。
いくら進んで行ってみても、両側は焼野だった。
・
煙は道を遮って、僕らは息苦しかった。
所々に突っ立った倉庫の中が 真っ赤になっていて
赤黒い煙の出ているところもあった。
又、昨日までは こんな地震や火事があろうとは
夢にも思わないで楽しい生活をしていたのに
履きなれないワラジを履き
風呂敷包みを背負って
新宿の方へ避難する者は、数限りもなかった。
・
僕らは、どう歩いたか覚えていないが
警視庁だか何か大きな建物で
もう、中は皆壊れているという
そんな付近を通って、日比谷公園へ入った。
綺麗な公園も あの時ばかりは寂しいものだった。
とても広かった。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)