少し前に『ではなにが違うのか』という記事を書きました。全国に行くようなバンドの子も、地区大会止まりのバンドの子も、おんなじ中学生高校生。なら、なにが違うのかという記事。こんなコメントをいただきました。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
なにが違うのか
まず、前回のその記事はこちら…
おんなじ中学生高校生なんだけど、ではなにが違うのだろうか、という記事。
とにかく細部にわたるこだわりを持った合奏。
目的意識が明確にある練習。
無駄のない濃密な時間。
そういうことの意識づけができる指導者。
そんなことを書きました。それはもう大違いなのだと。
でもまだ、ここに書かなかったこともあるのですけどね…
それは最近、再認識したこと。
そのうち記事に書くかもしれません。書かないかもしれないけれど…
で、Xでこの記事にこんなコメントをいただいたのです…
指導者の意識
こちらのコメント…
結局は指導者の意識ですよね。
— 西尾塾長@セルモ日進西小学校前教室 (@nnishio_tag) October 4, 2026
以前指導者講習会で全国常連の先生が、他の先生の質問に答えていた時、「弱小バンドなんてない。あるのは指導者の意識の差です」ときっぱり。
頭の中に奏でたい音楽、表現があり、それをどこまで追求できるか、やりきれるか。
その指導者側の情熱こそが「差」ですよね
「弱小バンドなんてない。あるのは指導者の意識の差です」
刺さりますよね。
でも、まさにその通りだと思うのですよ。
指導者次第とは、つまりはこういうことなのですよね。
指導力とはなにか、なにが違うのか、それはノウハウやハウツーなのか…
ハウツーで語れたら、こんな簡単なことはないですよね。
少なくとも、そんなものではないです。
指導者の意識、では、それってなんだと思われますか。
『音楽』が明確にあること
まずは…
指導者のなかに、いかにどれほど明確な『音楽』があるかということ。
これがあるからこそ、細部にわたるこだわりを持った、こと細かな指導になるのですよね。
ただダラダラ通して時々止めて少し指示するだけ…
そんな指導にはならない。
では、明確な音楽を持つために必要なことってなんでしょうか。
それは人によって違うのかもしれませんが…
ひとつには、豊富な音楽経験だと思うのです。
そして、いろいろな音楽を聴いた、触れた経験。
そこからなにかを感じ取る感受性やこだわり、好奇心…
スコアをいかに読み込むか、研究するか。
「きょうは10時間スコアを読みました」という先生がおられましたが…
脳みそ溶けますよ。
もちろんそれだけスコアを読み込もうと思ったら、音楽の能力も高くなければならない…
ソルフェージュ能力とか、ハーモニーや和声感とか。
音楽の勘所をわかっていることも大切ですよね。
そういうことすべてを兼ね備えた先生ってなかなかおられないとは思いますが、
どこかが秀でているということなのだと思うのです。いろいろな先生方を見ていると、ね。
追求と浸透
でも、ただ音楽を持っているだけではダメで…
それが生徒たちに伝わらなかったら意味がないですよね。
自分の中だけで終わっていたら、それはただのオタクです(汗)。
自分の中にある音楽を、いかに生徒たちに伝えることができるか。
伝え方や、引き出しや、情熱や、もちろん観察。
そういう能力は、自分のなかに音楽を作り上げる能力とはまた別のものだと思うのです。
そして、それに対して妥協しない姿勢。
難しいですよね…
ついつい、どこかで妥協してしまっていることってありませんか。
「これは難しいんだろうなぁ…」とか、
「ここはこんな程度でいいか…」とか、
「ここももうちょっと合ってないんだけどな…」とか…
妥協なき追求と、それを伝える技術と情熱、ですね。
信頼
もちろんそういう指導ができるためには、信頼関係があることが必要ですよね。
信頼されるためにやっているわけではない。でも、信頼がなければ伝わらない…
人間関係、ですよね。じつはちょっと苦手分野だと自分では思っています…(違?)
素晴らしい先生って、ただ音楽を伝えているだけではない。
人間教育をされている、そんな感じもするのです。
やっぱりそこは、切っても切れないものだと思うのです。
それから…
上にいくバンドは、バンドのなかに温度差がないという声もありました。
たしかにそうです。
活動に対する共通理解ができている。ちゃんと同じところを向いている。
これも、指導者の意識づけの結果だと思うのです。
もちろん、生徒たちの中から自主的にそういう意識が生まれてくれば素晴らしいことですが…
さて、みなさんはどう思われますか。

