コンクールが近づいてきますね。さて、賞のためなら、出来ない人には降りてもらいたいですか、それとも、全員でコンクールに臨みたいですか。さて、あなたはどちらでしょう。コンクールにはなんのために臨みますか。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
アンケート
ツイッター(X)で訊いてみました。
このアンケートは…
コンクールに臨むにあたり、なにを目的とし、なにを大切にしたいのか、
そんなことを問う目的で訊いてみました。
だから、もしかしたら『目指す賞のためなら』という問い方がおかしいかもしれませんね。
でも、結果を見ると、なんだか両側に割れた感じがしますね。
さて、みなさんはどんなふうに思われますか。
これには正解はないのかもしれません。そして、
やはり人によって答えは違うものなのだろうと思います。
出来ないから…
「ここ、吹けないからあなたお休みね」
「合わないから、ここは吹き真似して」
こんな指示って、コンクール前の練習でされたことはありませんか。
したことがある人もいるかもしれませんね…
ぼくは、されたこともしたこともありません。でも、
指示がされる現場に居合わせたことは何度かあります。
これ、みなさんどう思われますか。
当たり前じゃないか、という人もいるかもしれません。
とんでもない、そんなのおかしい、という人もいると思います。
さて、ではコンクールって、なにを『目的』に臨むものなのでしょうか。
誰かを切り捨てて…
青臭いと思われるかもしれませんが、コンクール前にこんなことを言ったことがあります。
「誰かを切り捨てなければ獲れないような金賞なら、そんなものは要らない」
どう思われますか。
正直、今訊かれても同じことを言うと思います。
なにがなんでも、どんな手段を使ってでも金賞さえ獲れれば…
それがコンクールの目的なのでしょうか。
もちろん、コンクールは『賞を目指す』ものです。
賞なんかどうでもいいというのであれば、コンクールに出る意味ってないかもしれません。
ですが、『賞を目指す』ということは、『賞さえ獲れれば』というのは違うと思うのです。
賞を獲れるのはなぜか
賞って、なぜ、獲れるのでしょうか。
言い方を変えれば…
どうなった結果、賞ってもらえるものなのでしょうか。
さて、どうでしょう。
仲間(ですよね)を切り捨てた結果、もらえるもの、なのでしょうか。
そのためには出来ない人は切り捨てる?
仲間と成長した結果、もらいたいとは思われませんか。
指導者としてはどうでしょうか。
出来ないから切り捨てる、そんな指導なのであれば、はっきり言ってサルでも出来ますよね。
そんなことのために指導料をいただくのが、指導者なのでしょうか。
出来ないから切り捨てる、それって決して、その子が悪いわけではない。決して。
出来るように導けなかった指導者の無能の結果、なのではないでしょうか(含む自戒)。
どんなにがんばっても、出来るようになるとは限らない、でも…
少なくとも、ギリギリまでがんばりたいと、ぼくは思います。
どんな金賞が
どんな金賞が、みなさんは欲しいですか。
なんでもいいから金賞(望む賞)が欲しい…?
どうですか、どんな姑息な手段(たくさんありますよね)を使ってでも、金賞が欲しい?
仲間と全員でがんばった結果としての金賞が欲しいのではないでしょうか。
同じ金賞でも、その価値はきっと雲泥の差ですよね。
なんのために金賞が欲しいのでしょうか。
全員の成長の証として、金賞が欲しいのではないでしょうか。
コンクールって、『成長を競い合うもの』なのではないかと思うのです。
なんだか誘導尋問みたいになりそうなので、このあたりにしておきますが…
でもこれは、コンクールに臨むにあたって、みんなで考えてみて欲しいことでもあるのです。
さて、みなさんはなんのためにコンクールに臨みますか。
