自分の中から出てきたものだけが伝わるのです | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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伝わる演奏と、そうでもない演奏と、説得力のある演奏と、そうでもない演奏と、いったいなにが違うのでしょうか。いろいろな要素はあるのでしょうけど、ひとつ、思うこと…。でもこれは音楽に限ったことではなくて…

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  説得力

 

たとえば、なにかを説明している人がいます。
よくわかる、話が伝わる人もいれば、ちっとも入ってこない人もいますよね。
声質や抑揚、表情、いろいろな要素があるのでしょうけど、ひとつ、思うのが…
自分の言葉で話しているかどうか。
自分の中から出てきた言葉なのか、それとも暗記したことをただ言っているだけなのか…
極端に言ったら、そういう違いです。
つまり、その説明している内容を、自分はどれくらい『理解』しているのかということ。
自分の中にどれくらい『入って』いるかということ。
それは、その話し方を聞けば手に取るようにわかりますよね。
 

 

  伝えたいこと

 

それから、こんなこともあると思います。
それは自分がほんとうに伝えたいことであるかどうか、ということ。
そこに嘘や作為、芝居や不自然な誇張、不誠実や計算、損得、そういう要素はないかどうか…
純粋に、自分が伝えたいこと、自分の思いであるかどうか。
それは、その話を聞けばわかってしまうものだと思うのです。
子どもにもわかります。いや、子どもの方がむしろ感じ取るかもしれませんね。
これは『話し方』ばかりではなく、たとえば書く文章にも現れるものかもしれません。
 

 

  音楽でも

 

さて、でもこれって、音楽も同じだと思うのです。
説得力のある演奏とはどういうものなのか、伝わる演奏とはどういうものなのか…
それはきっと、その『音楽』をどれくらい深く理解しているか、入っているか。
そしてどれほど『伝えたい』と思っているか。
結局最後には、そういうことが効いてくるのではないか、と思うのです。

もちろん、そのほかにもいろいろな要素はあるにせよ…
そんなふうに考えると、ではそのためにどうしたらいいのかも見えてくると思いませんか。
 

 

  猿真似や言いなりではなく

 

演奏していてなにかの表現をするとき、そこにちゃんと根拠はあるのかどうか、
それとも、ただ『誰かがそうしていた』、『誰かにそう言われた』からそうするのか。
この違いって、天と地だと思うのです。同じ表現をするのにしても、ね。
いろいろな演奏を聴くのはとてもいいことです。
それを真似するのもいいことだと思うのです。
最初は真似から始まるのですから。でも…
その真似が、どれくらい『自分の言葉』になっているかどうか、だと思うのです。
考えなくても自然に無意識に出てくる自分の言葉になっているかどうか…
そのためにはやっぱり、ひとつのものだけを聴いていたのではダメだと思うのです。
ましてや、誰かの言いなりでは伝わらないのは当然ですよね。
自分の中から出てきたものであるかどうか。
そのためには、楽曲を理解することも大切ですよね。
 

 

  好きになること

 

その曲を、好きになれるかどうか。
共感出来るかどうか。
これが、最後には効いてくると思うのです。
だってそれが、『伝えたい』という意思につながるのですから。
いいと思えるものでなかったら、伝えられないでしょ。
共感、それは、興味を持つことから始まると思うのです。
そして、共感出来るものというのは時を経るごとに増えていく、そんなふうにも思います。
それが、表現の幅を広げることにもつながると思うのです。
幅は、時を経るごとに、経験を重ねるごとに増えていく。

さて、伝わる演奏ってどういうものだと思いますか。