曲が形にならないのは技術が足りないせいなのか | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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ひとつの演奏会の中で、なんだかいまいちな曲があったかと思えば、ほんとうに同じ団体なのかと思うくらい生き生きした演奏があったりする、そんな演奏会やコンクールに出会ったことはありませんか。さて、これって…

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  ひとつのステージで

 

なんだかこなれてない、いまいち鳴らないし、もうひとつ自信なさそうなのが伝わってくる…
かと思うと、別の曲ではもう、生き生きとした演奏で鳴りまくる…
これが同じ団体なのか!?
ここまで極端ではなくても、たとえばコンクールで、
課題曲と自由曲の出来がずいぶん違う団体があったり…
さて、この、曲による出来の違いって、なにによるのでしょうか。
かけた時間なのでしょうか。
時間さえかければ、いいものが出来る?
 

 

  曲が形にならないのは

 

楽曲が、もうひとつ形にならない、出来上がらない、これって一体なにが足りないのでしょうか。
時間でしょうか。
技術でしょうか。
奏法でしょうか。
基礎でしょうか。
それとも、その全部でしょうか。
もしもそういうものが足りないことが原因であるのなら、
ひとつのステージで曲によって大きな違いが出来るのはなぜなのでしょうか。
曲の難易度なのでしょうか。必ずしも、そうとは限りませんよね。
曲の仕上がりがもうひとつな時、「やっぱり基礎力が足りない」なんて言われたりします。
でもそれ、はたしてほんとうにそうなのでしょうか。
 

 

  曲が入っていないのでは?

 

その楽曲、そのパッセージ、まわりの音や自分の役割、どんなふうに演奏したらいいのか…
そういうその曲のイメージが、ひとりひとりの中に入っているかどうか。
これが、じつは大きいのではないかと思うのですよ。
自分の中に入っていない楽曲を演奏しなければならないとき、その曲とどう向き合うのか…
「とにかく楽譜に書いてあることを正確に演奏しよう」
そういう発想で演奏するしかないわけです。
正確に演奏しようとすることがいけないわけではないのです。が、
そればかりになってしまっているとするなら、そこには大切なことが欠けていると思うのです。
 

 

  正解

 

欠けているもの、足りないもの、それは、その楽曲についての、ひとつの『正解』です。
たとえどんなに完全無欠の技術があったとしても、

たとえどんなにつわもの揃いの団体であったとしても、
その楽曲についての正解を持たずにステージに上がったとしたら…
きっと、なんだかイマイチな演奏をするしかありません。
たとえ荒削りな団体であったとしても、

技術が少々つたなかったとしても、
正解を持ってステージに上がったのなら、

きっと説得力のある演奏になることでしょう。
楽曲の出来って、そういうことなのではないかと思うのです。
 

 

  必要なもの

 

アマチュアとプロのいちばん大きな違いが、もしかしたらここではないかと思うのです。
プロの団体は、ひとつのコンサートで、多くてもせいぜい3日程度しかリハーサルはありません。
場合によってはもっと少ない、当日のみなんていうこともあります。
それでも、楽曲をちゃんと形にする。
その楽曲を、それだけ知っている(単に知識、ではなく)ということ。
たとえ初めての曲でも、その全体像やイメージをつかむのが早い、その経験値があるということ。

そういう、ひとりひとりの引き出しやイメージや語法やスタイルや美意識や思い入れ、
それが、楽曲を仕上げる上でのカギだと思うのです。
ひいては、出来のいい曲と悪い曲の差になってくる部分だと思うのです。
それは必ずしも時間をかければ出来るものでもないし、時間がなければ出来ないものでもない、
そんな気がするのです。
楽曲の仕上がりって、楽譜を正確に演奏すること、ではないのです。
少なくとも、それだけではないのですね。だから、
自分なりの正解、探していきましょうね。

あなたは『正解』を持って合奏に臨んでいますか。
『正解』を持ってステージに上がっていますか。