文化芸術は決して不要不急などではない | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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文化庁から、心強いメッセージが出されました。みなさんはもうお読みになられたでしようか。

ぜひとも読んでいただき、いろいろな団体の活動の指針とされることを望みたいところですね。

 

こんばんは。

トロンボーン吹きで作編曲家吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 

 

文化芸術に関わる全ての皆様へ

そのメッセージは、こちらです。お読みください。

 

 

さて、どうお感じになりましたか。

 

メッセージの中身

メッセージは、文化芸術に関わる『全ての』皆様に宛てられています。全てです。

休止を求めることは、あらゆる手段を尽くした上での『最終的な』手段だと言っています。

活動を、可能な限り『継続ください』とあります。

『リスクを最小限にしながら実施することが可能』とも。

『来場者間で感染が広がった事例は報告されていません』と。

『安らぎと勇気、明日への希望を与えてくれたのが、文化であり芸術』だと。そして、

文化芸術活動は、『不要でもなければ不急でもありません』と断じています。

 

不要不急なモノ?

世の中に、不要不急なモノなどないと思うのです。

どんなこと、どんなものにも、『必要だと思っていない人』が必ず一定数存在します。

たとえば、全員が必要だと思っていないものは『不要不急なもの』だと定義したとします。

すると、世の中のすべてのものは『不要不急』なものになってしまうと思うのです。

文化芸術、たとえばそのなかのひとつ、クラシック音楽を必要だと思っていない人、

これは、一定数いるでしょう。少なくないかもしれません。『思っていない人』はね。

でも、にもかかわらず、知らないうちにその恩恵にあずかっている人はたくさんいるのです。

クラシック音楽がなかったら、映画『アマデウス』も『のだめカンタービレ』もなかった。

普段聴いている、一見クラシックとは関係なさそうな音楽だって、

クラシックから脈々と続いてきた音楽の源流の結果だったりするのです。

生活の中で、一切の音楽を聴かない人っていないでしょ。能動的にではなくとも…

 

文化がなくなったからって…

声楽家で俳優の山野靖博氏の『note』記事にとても共感して1年前に書いた記事があります。

 

 

記事中の山野氏のnote、少々長いですがぜひ読んでみてください。

いかにわれわれの日常が、文化とは切っても切れないものであるかということが、

とてもわかりやすく書かれています。

とても、腑に落ちますよ。

世の中に、不要不急なものなどはないのです。

むしろ逆に問いたい。『その対策、不要不急ではないですか』と…

対策を打つ国や自治体が、それに対する相応の覚悟を持っているようにはとても思えないのです。

 

もっと補償を

文化庁長官のメッセージはとても心強いものであるのですが、

願わくば、もっと手厚い補償を、と思わずにはいられません。

キャンセル泣き寝入りの現状が、あまりにも多すぎるように思います。

そんなのを当たり前だと思ってしまってはいけません。

それにはなにが必要なのか、言葉だけではないなにかがもっともっと必要だと思います。

 

さて、みなさんは、ちゃんと活動できていますか。