ダヴィッドとザトラーとトロンボーンと[前編] | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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『トロンボーンにF管がついたのっていつ頃なんだろう…』そんな質問に、しばらく前に答えたのです。

トロンボーンを改良したザトラーの話、彼と親交のあったダヴィッドの話など、書いてみますね。

 

こんばんは。

トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 

トロンボーンの意外な真実

もう4年以上前に、こんな記事を書きました。

パイパーズに掲載された、イアン・バウスフィールド氏のインタビューを読んで書いた記事。

 

 

この中で、『ドイツトロンボーンは太管だった』、

『ダヴィッドのコンチェルトはその楽器のために書かれた』

というバウスフィールド氏の言葉を書いています。

さて、それってどういうことなのでしょうか。

 

 

時代と場所

時は19世紀前半の、ドイツはライプツィヒ。

ライプツィヒは旧東ドイツ、ベルリンから直線距離で150kmほど南西にある街。

ザクセン州の中ではドレスデンより大きく、東西ドイツ統一の住民運動が始まった街です。

この街には、ゲヴァントハウス管弦楽団という伝統あるオーケストラがあります。

では、このお話の登場人物をまず、紹介しておきますね。

 

ザトラー

クリスティアン・フリードリヒ・ザトラー

1778年にライプツィヒで、管楽器制作者の息子として生まれる。

1809年にライプツィヒで工房を設立。

1821年にバルブを考案し、金管楽器に初めてバルブを組み込んだ人。

のちにそれがウインナバルブにも発展。

そして、トロンボーンに数々の画期的な開発をおこなう。

 

ダヴィッド

フェルディナンド・ダヴィッド

1810年、ドイツのハンブルグに生まれたヴァイオリニストで作曲家。

1835年から、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務める。

作曲では、交響曲2曲、ヴァイオリンコンチェルトやオペラなど40曲ほどを書く。

オーケストラのオーディション定番曲としても有名なトロンボーンコンチェルティーノを作曲。

ザトラーとはご近所さんの仲。

 

メンデルスゾーン

フェリックス・メンデルスゾーン

1809年、ハンブルグの、ダヴィッドと同じアパートで生まれる(1歳上)。

言わずと知れた、超有名作曲家。

1835年から、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者。

ダヴィッドとは家族ぐるみのお付き合いで、超有名ヴァイオリンコンチェルトの初演者もダヴィッド。

同時期にゲヴァントハウスに来ているということは、メンデルスゾーンがダヴィッドを連れてきた?

 

クヴァイサー

カール・トラウゴット・クヴァイサー

1800年生まれ。19世紀の前半に活躍したトロンボーンの名手!

かのロベルト・シューマンをして、「トロンボーンの神様」と言わしめた。

さらに、弦楽器や木管楽器も奏でたのだと!(コンサートマスターまでやるほど)

1820年から1843年まで、ゲヴァントハウス管弦楽団に在籍。ソロで26回ゲヴァントハウスと共演!

(1822年から1846までという説もあり。ちなみに没年が1846年)

彼のために、いろいろな作曲家がソロを書いた。

ザトラーへは、楽器(トロンボーン)についていろいろと助言や注文をした。

 

シューマンといえば、シンフォニーにはトロンボーンの美しいコラールがありますが(特にライン)、

シューマンがそれらの交響曲を書いたのは、もう少し後になってからなのです。

もしかしたらクヴァイサーの影響が、はたしてあったのか…

 

さて、登場人物の紹介だけで、こんなに長くなってしまいました…(大汗)

本編は、明日のお楽しみということで(申し訳ない…)