伝わるものってどんなもの? | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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演奏でも、文章でも、伝わる、よくわかる、共感できるものもあれば、そうでないものもある。

この違いって、いったい何なのでしょうか。
 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
文章でも…
 
文章でもありますよね。SNSとか。
よく読むと、とってもいいことを言っているんだけれど、なんだか安っぽく感じちゃう…
言いたいことはわかるんだけど、あまりに文学的すぎて、なんだか入ってこない…
内容はわかったけれど、で、だから何?って言いたくなるような文章…
かと思うと、とっても腑に落ちるもの…
すっと入ってくる文章…
とっても共鳴する書き込み…
 
この違いって、いったい何なのでしょうね。
 
 
 
演奏でも…
 
たとえば、『ここはちょっと前向きにいこう』って演奏しても、
なんだか走っているようにしか聞こえない演奏。
なんだか走ってるよね、って訊くと、「ここは前向きにって言われました」って…
ほんとうの意図は、聴く人に全然伝わっていなかったりする…
かと思うと、
以前、とあるアンコンの支部大会なのですが、
サックスカルテットでモーツァルトをやった高校があって、それがすごく音楽的なのです。
引き込まれました。次元が違っていました。(ちなみに長野県の高校でした…)
 
 
なにが違うのか
 
書きながら、こんなテーマに結論は書けないんじゃないかと、ちょっと思っていたのですが…
文章と、演奏、なにか共通する違いがあるのでしょうか。
なんだと思われますか。
もしかしたら、作為的かどうか、なのではないでしょうか。
わざとらしさ、下心、かもしれません。
 
ただ表現に酔っていたり、利己的に伝えようとしていたり、目的がすり替わっていたり、
そういうのが、伝わらない文章、伝わらない演奏、なのかもしれませんね。
文学的に書くことが目的、ではないわけですよね。
前向きにすることが目的、ではないわけですよね。
伝えたい核心に素直に相対してるものが、伝わるもの、なのかもしれません。
 
 
 
作為的って…
 
音楽でいったら、『はっきり』とか『前向きに』とか『力強く』とか、そういう表現って、
それをすること自体が目的ではないはずですよね。
ところが、それがいつのまにか目的になってしまって、ほんとうの目的を忘れていたりする。
よくありませんか。
技術を誇示することが目的になっていたり(もちろんそういう音楽もあります)
自分を聴いてもらうことが目的になっていたり(自己顕示は大切ではあるのですが…)
金賞を獲ることが目的になっていたり(!)
決して、それがいけないというわけではなくて、でも、
ほんとうに伝わる演奏って、そういうのではないと思うのです。
 
 
ほんとうに伝わるもの
 
さて、では、ほんとうに伝わる表現ってどんなものでしょう…
伝えたいテーマに素直に向き合っているもの、なのかもしれませんね。
演奏でいったら、その音楽に素直に向き合っているもの。
思い込みを持たず真っ直ぐにスコアを読み、そこに書かれている音楽に素直に向き合い、
余計なことをするのではなく、それを伝えることを第一にした演奏。
 
伝えたいはずのこと、ほんとうの目的、核心、それを見失わない。
これ、文章や演奏に限らず、あらゆることに大切なのではないかな、と思うのです。
 
伝わるもの、伝わらないもの、その違い…
みなさんはどう思われますか。