前回の続きで、神奈川県相模原市南区で見た古墳見学のお話ですラブ

谷原古墳群3基のみを見学した後、史跡田名向原遺跡公園に向かいましたランニング徒歩で11~12分くらいの近さですキラキラ

 

私は古墳オタクなので、目的は公園内にある古墳なのですが、すぐ脇に旧石器時代の住居状遺構もあるんですびっくり

旧石器時代の住居状遺構はレアなので、こちらも見てきました!!

上矢印旧石器時代から古墳時代まで楽しめる歴史公園ですハート

上矢印公園に入るとすぐ、目の前に谷原12号墳があります旗

前回見た谷原古墳群に属する12号墳ですが、移築復元なんですよねあせる

直径約20mの円墳で、古墳時代後期の築造丸レッド

上矢印横穴式石室は、全長6.2m四角オレンジ

上矢印谷原12号墳のすぐ南にある、谷原14号墳丸レッド

このこんもりは、古墳の位置表示ということだそうですひらめき電球

 

谷原12号墳の東側に、旧石器時代の住居状遺構(約2万年前)があり、これが私には衝撃でしたハッ

旧石器時代に定住していた可能性があるということなのでしょうか!?

見学してみましたびっくり

上矢印柵があるので入ることはできませんが、旧石器時代の柱穴12か所、炉跡2か所が見つかっています虫めがね

 

拳大の礫が、住居の範囲を示すような形で、10×10mの環状に配置されています!!

上矢印柱穴が円状に並び、上屋をかける支柱と考えられる柱穴もありますバイバイ

上矢印炉跡2か所は、建物内にあったようです炎

 

平成10年に、群馬県の小暮東新山遺跡でも旧石器時代の住居状遺構が発見されたのですが、柱穴7か所で径3mとされており、小規模。炉跡はなし。

そうなると、屋内が径10mと考えられる住居状遺構は、結構な広さですね!!

 

住居状遺構とはいっても、定住していたのか、またはある一定の期間だけ居住したのかは不明なのですがあせる

約2万年前に、木を組み屋根までつけていたとしたらスゴイな~と思いました家

自力で生きなくちゃいけない古代人のパワー、素晴らしいですねキラキラ

 

(参考文献)神奈川県考古学会「平成21年度考古学講座 かながわの旧石器時代のムラと住まいを探る」平成22年3月7日

 

 

 

 

先週、神奈川県相模原市南区の谷原古墳群を見てきましたラブ

近くを流れる相模川の河岸段丘2段目(標高60m)に造られた古墳群で、古墳時代後期の築造レンチ

元々14基あったのですが、現在は削平された古墳も多いですあせるJR原当麻駅からバスで田名向原遺跡バス停下車、まずは4号墳に向かいますランニング

 

用水統制と農業で豊かに生活していた人たちが埋葬されていると考えられていますお願い

上矢印雨が降りそうなので、かけ足で見学です傘

4号墳は、金山神社境内にあります⛩

上矢印まずは手を合わせてお願い

祠の中には、南北朝時代の年号の石碑が納められているようですキラキラ

上矢印祠の東側に、谷原4号墳があります旗

現状で、南北8m、東西5m、高さ1.4mの円墳丸レッド

 

元々谷原古墳群では一番大きかったと言われているのですが、明治中頃に盗掘されたり、耕作もあってこのサイズになりましたあせる

上矢印西側から見ても、もう古墳の残骸という感じですねえーん

盗掘され遺物は散逸しましたが、直刀が残っていますナイフ

 

この古墳に「金山神社の由来」という看板がありましたひらめき電球

上矢印看板によると、掘り出された直刀を預けたお代官様・関山家の老母、当麻山無量光寺の住職が失明したそうですあせる

たたりだという言い伝えが残っているようですが、直刀を預けた相手がはっきり書かれているので、生々しいですねびっくり

 

4号墳のすぐ北側に、当麻谷原古墳(1号墳)が見えますが、ポンプ場敷地内のため、入ることはできませんバイバイ

神社側から撮影した写真ですカメラ

上矢印直径18mの円墳ですが、調査資料による現状は南北6.8m、東西2.8mの楕円形の墳丘丸レッド

7世紀前半の築造レンチ

盗掘跡あり。横穴式石室の石が、動かされたり持ち去られたりしていますあせる

上矢印3号墳もポンプ場敷地内にありますバイバイ

直径5m、高さ1.5mの円墳丸レッド

元々の墳丘外周は20mだと記録されていますメモ大小の丸い石を積み上げた横穴式石室あり。

 

たたり伝説の真偽はわかりませんがニコニコ

古墳を大切にしましょうという意味が含まれた言い伝えだったとしたら、そりゃそーですよ!!大切にしましょう!!

ポンプ場内にも古墳を残していただけて良かったと思いましたキラキラ

 

(参考文献)谷原遺跡調査団「神奈川県相模原市谷原遺跡の調査」1972年

今回は、岡山県の古墳見学記を書かせていただきますラブ

まだ書いていなかった、岡山市北区芳賀の万成塚古墳についてのお話ですラブラブ

地元の方に連れて行っていただいた古墳で、古墳時代後期の立派な玄室が残っていますキラキラご案内いただき、ありがとうございました。感謝!!(2023年5月の訪問)

 

目印になるようなものがないのですが、同じ芳賀にある靭負(ゆきえ)神社からは徒歩3分くらいの近さですランニング

上矢印まずは、道路沿いにある竹林の、白い矢印のあたりに向かいましたカメラ

上矢印道路側から見上げると、竹林の上部にうっすらと墳丘が見えました旗

径20m、高さ3~5mの円墳で、周溝あり丸レッド

調査報告書は見当たりませんでしたが、測量データは残っていました虫めがね

上矢印横穴式石室は、羨道の天井が抜けていますねあせる

ここから入らせていただきますお願い

上矢印横穴式石室は、全長10.4m、玄室長6.7m、幅1.95m四角オレンジ

玄室の状態は良いですね王冠2

上矢印天井石もなかなかの巨石で、サイコーですハート

上矢印左片袖式で、しっかりした袖石がありました王冠2

とても立派な横穴式石室だと思うのですが、あまり知名度がない古墳です汗

 

そんな話をすると、友達に「古墳自体に人気がないでしょ」と突っ込まれそうです笑い泣き

戦国時代や幕末など、違う時代ならファンが多いから、大河ドラマにもなるんですけどねテレビ

古墳時代の大河ドラマなんて、見たことありません(笑)

 

日本で最高視聴率を記録したのは、NHK連続ドラマ「おしん」なのですが、「こふん」ってダメでしょうか爆  笑

いいと思っているのは、多分私だけかもしれませんw

 

(参考)岡山県「おかやま全県統合型GIS」

 

いつも国内の古墳話ばかり書いていますので、たまには海外の古代墳墓を見ていただけましたら嬉しいですラブ

 

ブルガリアにある、古代トラキア人の墳墓をご紹介いたしますカメラ(2018年の訪問)

ブルガリアのシプカという町からやや南東に、紀元前4世紀頃に造られた墳墓「シュシュマネツの塚」があります。日本でいうと、弥生時代が始まった頃ですねキラキラ

 

古代トラキア人は墳墓をたくさん残していて、ここは保存整備されて見学できるようになっていました丸レッド

上矢印墳墓は、まるで巨大な円墳のように見えますね虫めがね

シプカの町で、人工的に土を盛った墳墓をいくつか見たのですが、この塚に関しては人工なのか、元々あった塚を墳墓に使ったのかは不明ですあせる

上矢印中の一部が見学可能でしたOK

上矢印まず、控えの間があり、赤い矢印を入れましたが柱の奥に小部屋があります四角オレンジ

小部屋が参埋葬部屋となりますお願い

 

わかりやすく日本風にいうと、広い前室+小ぶりな玄室という感じですね照れ

上矢印柱の奥に、ちょっと小部屋が見えますカメラ

上矢印小部屋は、ガラス張りなので入室はできないのですが、覗かせていただくことはできましたびっくり

うわぁぁっハート

上矢印円形の部屋で、元々は石膏が塗られていたようです!!

上矢印中央の柱と、ドーム状の天井が美しくてウットリラブラブ

上矢印石のドアが展示されているのですが、これが元々奥の小部屋についていたドアです旗

上矢印丸い模様の彫りこみは太陽で、赤い彩色も残っていますラブラブ

ブルガリアの墳墓巡りは最高に楽しかったし、これまで世界各国を回ってきたので、私の航空機搭乗回数は結構多いと思います飛行機

 

なのに!これまでに1回も飛行機の中でロマンスがありませんでした!ブラピ似のイケメンに声をかけられるとか、全くないんですけど爆  笑

いつでも受付体制なのに(笑)

 

ブラピには会えませんが、歴史旅は楽しく続けていきたいと思いますラブ

 

(参考)HP「VIRTUAL MUSEUM ISKRA KAZANLAK」

先週、神奈川県川崎市宮前区にある馬絹古墳を見学してきましたラブラブ

馬絹古墳は、7世紀後半の築造と考えられる円墳なのですが、横穴式石室が3室からなる複室構造で、円文などの文様が描かれているんですよ!!

 

石室は埋め戻されていて入ることは出来ないのですが、それでも一度見てみたかった貴重な古墳ですキラキラ

上矢印東急田園都市線・宮崎台駅から電動レンタサイクルで向かいました自転車馬絹古墳は公園として整備され、墳丘の横が広場になっていましたひらめき電球

 

古墳に着くまでの道のりは坂道ばかりで、電動自転車でなければ大変でしたあせる

ありがとう、電動古墳オタク号!!勝手に名付けました爆  笑

上矢印説明看板があります旗

上矢印広場(東側)から見たところ。直径約33mの円墳です丸レッド柵があり入ることはできませんが、墳丘南側に凹みがあるので、おそらくここが石室虫めがね埋め戻してあります。

 

石室は、全長約9m四角オレンジ奥室、中室、前室の3室からなる複室構造で、截石切組積みの整美な造り王冠2

玄室壁に白い粘土で描かれた円文、鏡石に図柄不明の文様があり、切石の接合部分にも白粘土が塗られていますひらめき電球

上矢印墳丘を西側から撮影カメラ

石室の様相から、群馬県の宝塔山古墳との関係を指摘する意見もありますびっくり

上矢印馬絹古墳から、北東に自転車で5~6分。西福寺古墳に到着自転車

梶ヶ谷第3公園の中に保存された古墳で、直径33mの正円に近い円墳です丸レッド

上矢印埴輪の出土から、5世紀後葉から6世紀初頭の築造と考えられていますレンチ(川崎市HPより)

 

昭和42年から公園として保存されてきたのですが「埴輪が発見されるため、一部の心ない人たちに盗掘され、墳丘裾部の崩壊が時間の問題となった」のですガーン

それで、再度整備保存が行われて、今の形となりましたグッ

 

盗掘は絶対ダメですよ!!石室に落書きとか、墳丘上に車を停めてる人も見かけたことがあります車駐車場じゃありませんよ注意古墳を大事にしてもらうには、どうしたらいいんでしょうね~お願い

どうか、文化財を温かい目で見ていただけますようにと思います照れ

 

(参考文献)西福寺古墳発見調査団 川崎市教育委員会「県史跡西福寺古墳 : 保存整備報告書」1984年2月