「独擅場(どくせんじょう)」と「独壇場(どくだんじょう)」 |  ときしらずのブログ◎迂闊な話         

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突然ですが、「アニメのことを語らせたら彼の独り舞台だ」の「独り舞台」と同じような意味合いの熟語として、「独場(どくせんじょう)」があります。

 

この「独場」は、訓読みしてみると、「ひとりほしいまま()にする所」でしょう。従って、以下に引用の『広辞苑』の語義説明「その人だけが思うままに活躍できる所。」のようになるわけです。つまり「独り舞台」ということです。

 

このような意味は、「独場(どくだんじょう)」からは読み取ることはできない筈です。ところが熟語として、今や専ら使われているのはこの「独場(どくだんじょう)」ではないでしょうか。


しかし本来の表現は「独場」であり、国語辞典における見出し語の基本は「独場」です。では何故、「独場」を「独場」と言うようになったのか。辞典では「誤読」や「書き誤り」と説明しています。確かに「」と「」は視覚的に似ています。それに、以下に引用の下線箇所にあるような状況「「擅」を「壇」と誤り、「ひとり舞台」の意から「独壇場(どくだんじょう)」と言うようになった。」というような理由もあるのでしょう。

 

〔以下、国語辞典を抜萃して引用させて頂きました。用例中の、見出し語を表す記号( ー )は、文字表記に変えさせて頂きました。=引用者〕

 

『明鏡国語辞典』第二版

ほしいまま【擅・恣・縦】

〔形動〕

自分の思うままにふるまうさま。

「権勢を擅にする」

 

『広辞苑』第七版

どくせんじょう【独擅場】

その人だけが思うままに活躍できる所。ひとり舞台。誤って「独壇場(どくだんじょう)」ともいう。「彼の独擅場に終わる」

 

『デジタル大辞泉』

どくせんじょう【独擅場】

その人だけが思うままに振る舞うことができる場所・場面。ひとり舞台。

「擅」を「壇」と誤り、「ひとり舞台」の意から「独壇場(どくだんじょう)」と言うようになった。

 

『広辞苑』第七版

どくだんじょう【独壇場】

(「擅(せん)」の誤読からできた語)⇒「どくせんじょう(独擅場)」に同じ。

 

『デジタル大辞泉』

どくだんじょう【独壇場】

⦅「擅」を「壇」と書き誤って生じた語⦆「⇒ 独擅場(どくせんじょう)」に同じ。

 

『明鏡国語辞典』第二版

どくだんじょう【独壇場】

〔名〕

「独擅場(どくせんじょう)」の「擅」を「壇」と誤って生じた語。⇒ どくせんじょう

 

「言葉は変わるもの」と言われます。例えば卑近な例では、「見られる」が「見れる」、「ものすごくおいしい」が「ものすごいおいしい」などがありますが、「独場」から「独場」への変化の例も気になっていたので、記してみました。

 

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国営武蔵丘陵森林公園で

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〔2024/3/3(日)〕

 

◎ミモザ【Mimosa(ラテン)】(マメ科)。枝が折れていました。この日の5日前、2月27日に吹いた台風並みという大風のせいでしょうか。折れてなお、花をつけていました。

 

 

 

◎サンジュユ【山茱萸】(ミズキ科)。

 

◎チューリップ【tulip】(ユリ科)。早咲きです。

 

 

◎クマザサ【隈笹・熊笹】(イネ科)。

 

◎マンサク【満作】(マンサク科)。

 

 

 

◎カワヅザクラ【河津桜】(バラ科)。

 

 

 

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