8か月も前、秋の撮影ですが、御覧ください。
昨年2019年9月19日(木)、東京大仏(東京都板橋区赤塚5丁目)へ行って来ました。東京大仏は、浄土宗の寺院・赤塚山乗蓮寺(せきちょうさん じょうれんじ)の境内に鎮座している阿弥陀如来坐像です。「東京大仏(乗蓮寺)」として、板橋区による‟板橋十景”の一つに選定されています。
東武東上線・成増(なります)駅前のバス乗り場。ここからバスで、東京大仏へ向かいます。最寄りバス停まで6分ほどです。
バス停「赤塚八丁目」で下車、東京大仏通りを進みます。
正門脇の閻魔堂(えんまどう)。乗蓮寺本堂への石段の手前に控えています。
寺の紋は、徳川家と同じ三つ葉葵です。乗蓮寺は、天正19(1591)年、徳川家康から十石の朱印地を与えられて以来、代々の将軍から朱印状を与えられました。また寛保3(1743)年、8代将軍吉宗が鷹狩りのとき雨宿りをしたのが縁で、その後、将軍家鷹狩りの折の小休所や御膳所となりました。
山門。
山門の本堂側には2体の尊像が安置されています。正面には、阿形金剛力士、吽形金剛力士が安置されていますが、コチラの写真は、以下にアップした尊像の写真よりさらに不鮮明なので、割愛します〔覆いの網の目が細かすぎる!〕。
広目天尊像。
多聞天尊像。
乗蓮寺は、高速道路建設に伴う国道17号線の拡幅工事のため板橋区仲宿から、昭和46(1971)年より7年の歳月をかけて現在地に移転しました。ここは、赤塚城(あかつかじょう)二の丸跡です。
赤塚城に拠った武蔵千葉氏は,北条氏の有力な家臣でしたが、天正18 (1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡し、赤塚城も廃城となりました。
本堂。
境内。
東京大仏〔阿弥陀如来坐像〕は、乗蓮寺が現在地へ移転した際、天災・戦災等の無縁仏の供養や恒久平和を祈願して、昭和52(1977)年に建立されたものだそうです。高さ13メートル、重さ32トン、青銅製です。
七福神像。
鐘楼。
福寿観音。
旧津潘藤堂(とうどう)家の下屋敷〔染井屋敷〕にあった石造物が点在しています。昭和42(1967)年に乗蓮寺に寄贈されたものだそうです。以下は、その一部です。
役小角(えんのおづぬ)像。7世紀後半の山岳修験者。日本の山岳宗教である修験道の開祖です。
奪衣婆(だつえば)像。死んだ人が最初に出会う冥界の官吏であり、三途の川のほとりで、亡者の衣服を剥ぎ取る老女の鬼。懸衣翁(けんえおう)がこの衣服を衣領樹(えりょうじゅ)に掛けます。亡者の生前の罪の軽重により、衣服を掛けた樹の枝の垂れ方が異なると言います。ちなみに、奪衣婆は、閻魔王の行う裁判の陪審員でもあるとのことです。閻魔王の妻との説もあるようです〔ユチャクは、大丈夫?〕。
正門脇の閻魔堂を再掲します。
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このあと、板橋区立赤塚植物園に回りました。その様子は後日、ということにしたいと思います。