五百羅漢*2019年9月《川越散歩》 |  ときしらずのブログ◎迂闊な話         

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9月25日(水)、再び喜多院(きたいん)〔埼玉県川越市小仙波町〕に行って来ました。今回の目的は、境内の一画に鎮座する五百羅漢(ごひゃくらかん)の拝観です。羅漢とは、阿羅漢(あらかん)の略。阿羅漢とは、「仏教の修行の最高段階。また、その段階に達した人。もと仏の尊称にも用いたが、後世は主として部派仏教の聖者を指」します〔『広辞苑』第七版〕。

 

秋の青空が広がっていました。川越駅〔JR川越/東武東上線〕から、例によって、小江戸巡回バスに乗り込みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

喜多院山門脇に立つ銅像は、喜多院第27世住職の天海(てんかい)大僧正です。以前、観光客のグループに遭遇したことがあります。「この像は、誰かに似ていると言われていますが…」それは誰か、と観光ガイドが皆に問いかけていました。実は私もかねて気になっていたことでしたが、ガイドの答えは、案の定「ビートたけし〔北野武〕」でした。…

 

 

 

今回は、五百羅漢(らかん)を拝観しました。「この羅漢は川越北田島の志誠(しじょう)の発願(ほつがん)により天明2年(1782)より文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもので十大弟子、16羅漢をふくめ533尊者のほか中央高座の大仏(おおぼとけ)に、釈迦如来(しゃかにょらい)、脇侍(わきじ)の文殊普賢(もんじゅふげん)の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来(あみだにょらい)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を合わせ全部で538体が鎮座」〔喜多院パンフレット〕しています。なお、下線箇所の5体は日陰が濃くて撮影出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五百羅漢とは、「釈迦の入滅後、その教えをまとめるために集まったという五百人の聖者」です〔『明鏡国語辞典』第二版〕。

 

鎮座する羅漢像は、泣いたり笑ったり、嘆いたり…。聖者であるという羅漢も「人間」であるということが強く表現されている、と思われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多宝塔。

 

喜多院本堂。

 

帰途、街角で「川越まつり」〔10月20日、21日〕のポスターを見かけました。朝、小江戸巡回バスの運転手が言っていたことですが、今の時期はバスの乗客が少ないとのこと。「川越まつりの前の静けさ」なのだそうです。