最近、ある雑誌で、「いくつかの報告では、本疾患は予後良好と侮ってはならないと警鐘している」といった一文が目に留まりました。本疾患というのがどういう疾患かは割愛します。問題にしたいのは、「警鐘している」という言い方です。「警鐘」は名詞であり動詞ではないので、「警鐘している」および、その基本形と思われる「警鐘する」という言い方はあり得ないわけです。
「警鐘」の使い方は、「警鐘を鳴らす」がごく一般的ではないでしょうか。言うまでもなく、以下に引用した『明鏡国語辞典』第二版における “2” の用法の場合の話です〔この場合の用法を、『広辞苑』第六版では、“比喩的” と説明しています〕。
『明鏡国語辞典』第二版
けいしょう【警鐘】
〔名〕
1 危険を知らせ、警戒をうながすために打ち鳴らす鐘。
2 危険を予告し、注意をうながすもの。警告。
「ネット社会に警鐘を鳴らすリポート」
〔用例中の、見出し語を示す記号 ( ― ) は、
文字に変えさせていただきました。=引用者〕
敢えて繰り返しますが、私が問題にしているのは “2” の比喩的な用法の場合の話です。しかし、“1” の場合においても、当然「警鐘を鳴らす」といった使い方はするでしょう。ただしこちらは、比喩でも何でもなく、文字通りの意味です。
『日本語コロケーション辞典』
警鐘を ▶ 鳴らす
人々に注意を促す。警告する。
|例| 高齢化と少子化は、日本の将来に警鐘を鳴らすものといえる。
上掲のように、『日本語コロケーション』に収載されていることからも分かるように、比喩的な意味合いでの「警鐘を鳴らす」という言い方は、コロケーション 〔注〕 なのですね。
〔注〕
コロケーションとは《文・句における語の慣用的なつながり方。連語法》
(『広辞苑』第六版)です。例えば、「相槌を打つ」とは言うが、「相槌を叩
(たた) く」とは言わない、というようなことです。
ところで、以前、鉄道会社の人の文章で、「警笛を鳴らす」という言い方があったのを思い出しました。 実際に電車の警笛を鳴らすという意味でではなく、ある出来事が人々に警告と注意を促しているというような比喩的な意味でのことでしたから、 「警笛を鳴らす」 という言い方は不自然だな、と思ったことを覚えています。
しかしあれは誤りというのではなく、鉄道会社の人らしく、「警鐘を鳴らす」を「警笛を鳴らす」とした、いわばギャグだったのだろうか(!?)、いまは、そんなふうに思ったりもしています。…