「待つ」と「俟つ」 |  ときしらずのブログ◎迂闊な話         

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「彼の業績が偉大であるということは論を俟たない」、「今後の研究に俟つ」 などの“俟つ”

を“待つ”と表記している文章に、ときおり遭遇する。読みは同じ“まつ”であるが、意味は違う(「俟」は常用漢字表にないから「待」にしましょう、いっそ、ひらがなにしましょう、みたいな風潮があるような気がしているのだが、気のせいだろうか)。

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『角川 用字用語辞典](吉川泰雄 武田友宏 編)では、それぞれ別個に見出し語を立てている。


「待つ」の項は、用例として、「人を―。電車を―。一年間―。…」とある。


「俟つ」の項は、まず意味として「頼る」とある。用例として、「良識に―。彼の努力に―。今後の研究に―。」とある。

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上記の説明で、違いは瞭然と思われる。ところが、『広辞苑』は、下記のようになっている。見出し語は、併記の形である。


まつ【待つ ・ 俟つ】

   …

  4 (多く「俟つ」と書く) 頼りとする。期待する。よる。

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『国語大辞典』も、見出し語は、併記の形である。


まつ【待つ ・ 俟つ】

   …

  4 () 頼りとする。必要とする。

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『明鏡国語辞典』は、下記のようになっている。見出し語に【俟つ】は、ない。


まつ【待つ】

   …

  5 《多く「…に―」の形で》…頼りにしてまかせる。…に望みを託す。

   …

   表記「俟つ」が好まれる

  6 《「論[言(げん) ・ 言う]を― ・ たない」「言を―までもない」などの形

   で》わざわざ言うまでもない。当然である。

   …

   表記「俟つ」とも

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『広辞苑』『国語大辞典』『明鏡国語辞典』も、「待つ」と「俟つ」の違いはおさえているが、『広辞苑』と『明鏡国語辞典』は、その使い分けに関してはそれほど厳格ではないように思われる。“多く「俟つ」と書く”とか“「俟つ」が好まれる”という言い方は気になる。

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「待つ」も「俟つ」も“まつ”であるから、語源は同じなのだろう(専門的なことは分からないが…)( )。

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しかし、上記のいずれの引用からも分かるように、意味合いは異なっている。先人たちが、それぞれに使い分けてきたのである。これこそ、日本語の妙というべきではないだろうか。下記の(注)のように、待ち方の違いにより漢字を使い分けるというようなことは兎も角として、「待つ」と「俟つ」の使い分けくらいは継承してもよいのではないかと思うのである。

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私は、見出し語として、「待つ」と「俟つ」を別々に掲げている『角川 用字用語辞典』の明解さを支持したい、と思う。


『角川 漢和中辞典』に「まつ」の同訓として、次のようなものが載っている。


待 ・ 俟(し) ・ 候 ・ 須 ・ 竢(し) ・ 等 ・ 徯(けい) ・ 需。待は、来るのを待ち、来ればそのあしらいをすること。「待命」「待遇」。俟 ・ 竢は、じっとまつこと、せかないでまつこと。候は、今か今かとうかがいながらまつこと。須は、互いに求め合ってまつこと。(後略)