昭和の遺言 十五年戦争 兵士が語った戦争の真実 仙田実/仙田典子① | 怠け者のつぶやき

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今まで勉強してこなかった怠け者が
今更だけど本でも読もうか、ってことで色々と
本を読んだりニュースを気にしたりしてつぶやいてます。

○まとめ

 満州事変から第2次世界大戦敗戦、そしてソ連に抑留された話を実際に徴兵された人に話を聞きながらまとめた本。徴兵された人は著者の出身である岡山県出身者で、下士官またはそれ以下の役職だった。

 戦争の大まかな流れも書いてあるが、主に目をひくのは当時の倫理観や現場の状況、思想のあり方である。現在と違う点はざっと下の通り

1.国民の命は天皇のためにある。

2.上官の命令は天皇の命令と同様である。

3.日本は戦争をすれば必勝である。

4.武力で植民地を獲得する事は当然である。

5.捕虜になる事は最大の辱めである。

ざっとこんな感じであろうか。国民の命は、鴻毛(鳥の羽根)よりも軽いと言われたりもしたそうだ。また上官の命令が天皇の命令という事を逆手に取ったひどい私刑もよくあり、死者も出ていたという。

 この本の随所で見られる今では考えられない事の数々は、想像するのも嫌になるものが多い。中国人をはじめとする敵国に対しては、ゲリラで一般市民にまぎれて襲われた事から疑わしい人間は全て殺していたようだ。捕虜にした村民に穴を掘らせてから銃剣で殺し、掘った穴を墓にして埋めた、という話もある。

 味方に対しての扱いもひどく、ろくに食料もよこさないまま中国、フィリピン、ガダルカナル等を何百キロも移動させた。おかげで兵士たちの間では餓死者が大量に出たようだ。怪我人に対してもろくに設備もない野戦病院に連れて行き、ろくに治らないうちにまた前線に送る、といったことも日常だったらしい。暖房のない冬の中国北部の野戦病院に送られた兵は凍死しそうになり、馬糞の発酵熱を利用してなんとか生き延びたという話さえある。天皇を敬う軍旗にしても、軍隊の中に日章旗を持つ専用の人員がいるだけでも驚いたが、彼が川を渡るときは、旗が水にぬれない様に自分が沈んでも手を挙げていたと言い、これが原因で溺死した例もあるそうだ。ゼロ戦にしても装甲が非常に薄く、当たれば一発で沈む事を米兵から「キジ撃ち」と揶揄をされる、穴を掘って地中に隠れ、戦車が現れると生身で飛び出して手榴弾を当てに行く(タコ壺作戦)など、国民の命を軽視している例は挙げればきりがない。サイパンで総攻撃を行って敗れた日本軍を見て、捕虜になるくらいならとマッピ岬から飛び降りた集団自決なども起きている。これらは主に一般市民であり、赤ん坊を抱えて飛び降りた女性もいた。この場所はバンザイクリフ(万歳岬)等と呼ばれている。ガダルカナルでは、大本営から撤退の命令があったまま迎えもよこさず、人々はゲリラとして日々の食糧にも困りながら、ただ生活する事しかできなかった。

 こんな軍隊の中で捕まった外国の捕虜が、良い環境にいられるわけがない。案の定日本では通常と思って捕虜をしごいていた管理者は、戦後A級、B級戦犯となり死刑になったそうだ。

 しかしながら、味方に対してのこのような非道な行いを行っていたのは、陸軍学校出のエリート達等が多く、一般兵、たたき上げの士官・下士官は少なかったようだ。

 一方戦争の概況だが、まずは満州事変の話から始まる。満州事変は南満州鉄道を日本軍が小爆破させ、中国人がやった事にして戦端を開始した事件である。これを機に関東軍は勝手に満州国の宣言をした。この辺りから軍上層部の暴走は始まっていた。

 日中戦争は、これを3期に分けている。第1期は盧溝橋事件による戦争開始から、南進を続け、武漢の攻略(193810)をするところまでである。日本は鉄道に沿った都市の攻略を進めるが、そこから離れた農村や山岳地帯は全く手つかずだった。局所で勝利するも、全体的では勝利をできない事から、戦争が長引くこととなった。第2期は、占領地域の治安警備、土木や農業の援助を行った。共産党軍や蒋介石の中央軍の激しい抵抗に遭い、うまくは行かなかった。ここで同時に、海南島、南寧に進み、重慶への物資輸送路(援蒋ルート)の遮断を図った。ここから太平洋戦争が開戦する(194112)までである。第3期は太平洋戦争勃発から、終戦までである。南方の対米英作戦に対応するため、軍を中国から回した。一方で中国には米英から兵器や軍が送られてきたため、日本軍の飛行場占領や鉄道開通も全く効をなさなかった。

 太平洋戦争については、名称をアジア太平洋戦争と呼んでいる。ここでも戦争を3期に分けている。第1期は、真珠湾攻撃から連勝を続けた約半年間。グアム島、マレー、フィリピン、香港占領、インドネシア攻略、ビルマ制圧し、南方海域を占領したところまで。第2期はミッドウェー海戦における日本の敗北(19426)から、ガダルカナルの敗戦、ラバウル・トラック基地を放棄し(19443)、形勢が逆転するまで。第3期はこの後敗戦までである。アメリカはサイパン、フィリピン、沖縄と進み、中国大陸にも入っている。東南アジアではイギリス・インド軍がビルマを奪回。本書では、第3期を棄民の戦争と呼んでいる。

 そして最後にソ連の日本人抑留である。ソ連は、日ソ中立条約を破棄して89日に満州に侵入して逃げ惑う日本人を抑留、ソ連へ連れて帰った。連れて帰った日本人は、第2次世界大戦で死んだソ連国民の代わりの労働力として働かされた。過酷な労働は、極寒の冬が特に厳しかったようだ。また抑留されたものは、共産主義の教育もされた。日本へ帰国をするためには、健康状態が悪いもの、共産主義教育の成績優秀者(日本への宣伝要員)、技術を持たないもの、労務態度が良い事、戦争犯罪者出ない事等が考慮されていたと推測される。帰国する際には、スターリンへ共産主義の教えの素晴らしさと日本での喧伝活動をするよう喧伝した手紙を出す様になっており、帰国するためと言い聞かせて書いたものもいるようだ。

 15年戦争の死亡者は日本国民で230万人、被害国は2000万人にも上った。特に15年戦争の最後の1年半に全戦没者の8割が集中しており、アジア太平洋戦争の第2期が少なくとも和平の潮時だと作者は考えている。死亡者の数倍に上る傷病者と生活・文化の破壊を始め、植民地からの過酷な収奪と強制動員、捕虜への虐待、強姦と慰安婦の問題、生体実験、中国に対する細菌・毒ガス戦とその後遺、中国残留孤児、諸外国に対する戦後補償の問題、そして昭和天皇の戦争責任の曖昧化などこちら側が行った問題も多い。しかしアメリカによる多くの都市への無差別爆撃(原爆ふくむ)、ソ連による満州進行と日本人抑留、東京裁判をはじめとする戦後の戦犯裁判の不公平等日本が受けた理不尽な扱いも不問に付すわけにはいかない。

 昭和時代が終わり、ソ連の崩壊によって冷戦が終結して10数年がたった現在、私達はようやく、これらの時代を歴史として客観的に振り替えられる時点に来ている。ぜひ公平で実証的な歴史研究をと望む。そもそも歴史とは、迷いやすい人間の英知を少しずつ積み上げる過程である。戦争と殺戮と環境破壊の時代であった20世紀の現実を見据え、それとは別の未知や生き方を探ることこそが、同時テロで始まった21世紀に生きる私達の課題であろう。この本がその一助となる事を願っている。