無人の家で発見されなかった手記 -7ページ目

無人の家で発見されなかった手記

──ある素人小説家の陳述

 昆虫ミステリ第3弾、いかがでしたでしょうか。
 身内には割と評判がよかったので、リライトして『新・本格推理』に送ったこともあったりしたような気がするのですが、記憶違いかもしれません。黒歴史として記憶を封印したのかもしれません。
 今読み返してみると、随分と若気の至り的な文章であり内容だなあと思ってみたり。それと、当時は同性愛がまだまだ今よりもタブー視されていました。橋口亮輔さんの映画『二十歳の微熱』『渚のシンドバッド』が大好きで、この作品に大きく影響を与えてくれました。それと、是枝裕和さんの映画『DISTANCE』を観て衝撃を受けた直後でもあり、作中に出てくる「サイレントブルー」というキーワードは、ここから拝借したりしています。
 まあ、いい思い出です。

 ここまで毎月1作の短篇ミステリを書いてみて、何かをつかんだのでしょうか、以降も1~2ヶ月に1作のペースで8作目まで書き続け、そして長篇にも手を出したわけです。このいきさつについては以前も書きましたかね。書きましたね、確か。

 さて、話は変わって、連載以前にちょっと触れた、800字小説についてです。
 次回から、僕の生み出した作品の中で最も多くの方に読んでいただいたであろうアレの誕生秘話についても、ちょっと語ってみようかと思います。

 

闇匣より出ずるもの 闇匣より出ずるもの
1,080円
Amazon

 

 

 

 

                                  エピローグ

 少し早めに着きすぎた。
 ただでさえ早い時刻に呼び出されているうえに思ったよりも早く到着してしまったものだから、非常識なほど早い時間帯ということになる。
 まだ夜は明けていない。だから周りは暗い。雨はすでに止んでいたし、天気予報によれば明日は――いや今日か――気持ちのよい晴れ間が広がるということであったから、雲もほとんど消え去っていることだろう。
 しかし暗い。暗すぎる。
 廃村だから当然か。
 わたしはマルボロライトを灰皿に押しつけ、シートを倒した。屋根の車内灯を見つめる。目が痛くなってきたのでまぶたを閉じた。
 愛車のワンボックスに乗客はいない。いや、これからふたり増える。そのうちひとりは、三日前にわたしがここまで乗せてきた男であり、本日このような時間に迎えに来ることをわたしに約束させた張本人である。庵利御(いおり としみ)という昆虫写真家だ。なんでも、廃屋に泊まりがけで蛍の写真を撮るとか。ご苦労なことである。
 もうひとりの乗客は、つい先ほどまで助手席を温めていた、大学の後輩である。三井寺庚という、憎たらしくもあり憎めない男だ。わたしが水火水村へ行くことを教えてやったら、着いていくと言って聞かなかった。だからつれてきた。
 到着するや、わたしは三井寺に利御を呼んでくるよう命じた。面倒臭いのでわたしは車内に残った。ヘッドライトをつけ、闇の中の目印とする。
 三井寺が出てから一時間ほどが経過した。ぼちぼち夜が明ける頃合いか。
 近づいてくる人影はひとつ。三井寺であった。
「利御は?」
 ドアを開け助手席に滑り込んでくる彼に、わたしは尋ねた。
 三井寺は深く息を吐き出すと、目を閉じた。端正な横顔は能面のように白く硬い。
「あとで来るって」
 生気の抜けたような声だった。
 わたしはさらに訊く。
「ずいぶん時間がかかったな。迷った?」
「すぐ見つけたけど――話してた」
「利御と?」
「他に誰か?」
 それはそうだ。
 三井寺は目を開けず、手探りでシートを倒す。わたしと横に並んだ。
 わたしは車内灯もヘッドライトも消した。闇が下りる。
「何、話してた?」
 平生と違う彼の様子を不審に思い、そして心配し、わたしは声をかけた。
 三井寺はしばらく黙っていた。答えないつもりかなと思った矢先、
「光る――死体のこと」
 そう言った。
 なんのことだろう。『黒死館殺人事件』じゃあるまいし。
「霜月(しもつき)さん」
 わたしの名を呼ぶ。
「聞きたいの?」
 わたしは「ああ」と頷いた。
「本当に?」
 もう一度、ああ。
 すると三井寺は、すべてを語ってくれた。

「軽蔑した?」
 そう訊いてくる。わたしには答えられない。
「俺が男と寝たから、軽蔑してるでしょう?」
 軽蔑、というのとは違う。ただ、三井寺がわたしの手の届かない場所へ遠ざかってしまったような感覚。
「恋愛なんてさ、誰だって、どんな組み合わせだって、可能なんだよ」
 わたしは瞳を閉じて聞いていた。
「性差は関係ない。そういうのが関わってくるのは、子孫を残すときだけさ。そのつもりがないなら、まったくもって関係ない。くだらない区分だよ」
 だから三井寺は、女性とも男性とも。
「そう思わない? 思わないよね……」
 思わないわけではない。わけではないのだが、抵抗がある。
「あ、来たよ、庵さん」
 三井寺が教えてくれた。
 告白しているうちに気持ちの整理でもついたのだろうか、幾分明るみを増した声である。
 ふざけてクラクションを鳴らしている。
 わたしはやはり、この少年のことが好きだ。
 それが、とりあえずの結論。
 それでいい。
 さて、ふたりをつれて帰らなければ。
 まぶたを開いて顔を上げると、窓の外はサイレントブルー。

                                      *
                                      *
                                      *

 私は用水路に下りた。
 水の中に足を踏み入れる。冷たい。
 蛍の光も冷たい。
 私は佐織に添い寝した。
 私も、光るだろうか。

                                                                          (了)

                                                      2001.08 原稿用紙換算64枚

参考文献
 今森光彦『水辺の昆虫』(山と渓谷社)
 黒沢良彦・渡辺泰明『甲虫』(山と渓谷社)

 

闇匣より出ずるもの 闇匣より出ずるもの
1,080円
Amazon

 

 

                                      11

 庵の話が終わるやいなや、私は廃屋を飛び出していた。
 あたりはすでに暗い。時の経つのが早い。もう日が暮れてしまっているとは。
 走った。
 疾走した。
 息が切れた。
 なおも走り続けた。
 雨が顔を打つ。
 そして頬を流れる。
 いやこれは涙なのか。
 そして用水路に辿り着いた。
 昨日、私が佐織を殺して沈めた用水路。
 恋人だった佐織の死体が沈んでいる、用水路。
 佐織。私が殺した佐織。
 ナイフで刺し殺すつもりでいた。けれども、気が変わって首を絞めた。
 この手で、直接。
 最期の瞬間の、佐織の体温を知りたかったから。
 やはり彼女は、私の愛した女性であることに変わりはないから。
 佐織の眠る水路。
 水かさは変わっていない。
 雨が水面を叩く。
 佐織は――水の中の佐織は――。
 光っていた。
 黄緑色に、薄ぼんやりと、儚く、美しく。
 自分の存在を主張するかのように。
 ――カワニナという、淡水棲の巻き貝がいます。
 庵の言葉が思い起こされる。つい先刻の言葉だ。
 ――雑食性で、泥の中の落ち葉や藻の他、ミミズやザリガニ、ドジョウなどの死骸も好んで食べます。もちろん、より大きな生き物の死骸も。
 人の死骸。水の中の人の死骸。佐織の死体。
 ――蛍の幼虫は、みなカタツムリを食します。幼虫が水の中にいる種類は、このカワニナを食します。カワニナも分類上はカタツムリの仲間ですからね。
 今、水中の佐織の身体には、たくさんのカワニナとやらがへばりついているに違いない。彼女の身体を自然に帰すために。そしてそのカワニナを求めて、大量の蛍の幼虫がやってきては群がり――。
 ――そして、蛍が光るのは、成虫だけではありません。幼虫も光るのですよ。
 そうだ。光っている。成虫のようにはっきりとしたものではないが、確かに。
 ――もちろん種類にもよりますが、ゲンジボタルもヘイケボタルも、およそ成虫が光を放つ蛍であれば、幼虫も光ります。明滅はせず、微弱な光を発し続けるのです。
 つまり、
 ――つまりそういうことですよ。水中の死体にカワニナが群がり、カワニナに蛍の幼虫が群がる。死体を食べたカワニナを食べ、幼虫は蛹になり、やがて羽化します。水の中に沈んだ人間が、まるで蛍に変身したかのように飛び立つ。残された村人たちがその光景を目に焼きつけ、後世に語り継いでゆくうち、シナリオに幻想味が付加されていった。
 庵は昨夜これを見たのだ。
 ――これこそが、人間が蛍に変身したからくりですよ。
 真夜中にほの暗く鈍く光る、佐織の死体を見たのだ。
 私は膝を折った。ぬかるんだ地面に両手をつく。
 佐織。
 彼女の姿は見えない。
 ただ、水の中に――、
 光る影、ひとつ。
 薄ぼんやりと光る、佐織の死体。
 私が殺した、彼女の死体。
 私が沈めた、彼女の死体。
 庚とつきあうからいけないんだ。
 庚と寝たからいけないんだ。
 彼は、私の恋人なのだから。

 

第13回

 

闇匣より出ずるもの 闇匣より出ずるもの
1,080円
Amazon

 

 

                                      10

 ぽすん、とまるでジョークのように派手な音を立てて、車のスピードがゼロになる。
 エンジントラブルだろうか。機械に明るくない赤星には、原因もよく判らなければ、対処法の見当もつかない。
 ならば修理を呼ぼうかと携帯電話を取り出したが、それでは自分の犯行が露見してしまう可能性が大きい。そもそも、ここは電波の届かない圏外であった。
 周りは、見渡す限り無人の田園風景。時刻は五時を回り、本格的に暗くなってきた。
「なんだよ、くそ」
 ハンドルに八つ当たりをしてみた。アクセルとブレーキにも。スカイラインは何も答えてくれない。
 幸いなことといえば、路上駐車していても誰にも迷惑がかからないし、切符を切られることもない、ということぐらいである。
「素敵だね」
 吐き捨てると、赤星はシートを倒し仰向けになった。

 結局、一夜が明けてしまった。
 夜の闇はどこまでも深く、ここが人の住む世界とは信じられないほどであった。
 庵の言っていたように、蛍など一頭たりとも窺えなかった。
 しかも空はどんよりと曇っている。月の輝きも星ぼしの瞬きも見えなかった。
 空を埋めつくしていた雲も朝までには薄れ、夜明け前の青黒い光は見ることができた。
 こんな、夜から朝に移りゆく空の青さを、なんと言ったか。
 確か横文字の名称があったはずだが、赤星は思い出せない。
 だが、赤星はこの時間帯が大好きであった。最も心安らかなる時。
 さすがに腹が減ってきた。当然のことだが、この車に食料など積んではいない。さて、どうしたものか。
 赤星は自分の手を見た。
 両手の平は血色を失って生白い。空の色が反射しているせいかもしれない。
 誰もいない助手席。
 どうにも実感がなかった。
 この手で締めたのだ。絞め殺したのだ。恋人を。恋人であった更紗佐織を。
 自分は人殺しだ。赤星弘司は――殺人犯だ。
 そう言い聞かせてみる。頭では充分すぎるほど解っているのだが、どこかピンと来ない。夢でも見ているようであった。
 これからどうしようかと、まどろみの中ぼんやりと思い描いていた。何も思いつかない。
 だからまぶたを閉じた。
 疲れているのがよく判った。
 やはり精神的には参っているのだろう。
 再び赤星は眠りにつく。
 恋人の夢を見た。

 車窓を叩く音で目が覚めた。
 まぶたを開くと、窓の外からこちらを覗き込んでいる庵と目が合った。彼は微笑し、口を動かした。
 ――おはようございます。
 そう言っているのだろうが、よく聞こえない。
 時計を見ると、すでに正午を過ぎていた。
「ああ、庵さん」
 窓を下ろして声を返した。
「どうかしました?」
「それは僕が訊きたいですよ。――ええと、赤星さん、でしたね」
「ええ。ちょっと、車が動かなくなってしまって」
 赤星は忌々しげに言った。忌々しいのは、動かないスカイラインと、こんなときに現れた昆虫写真家。
「エンストですか?」
「かもしれません」
「携帯電話の圏外ですからね、このあたりは。どうされるつもりです?」
「歩いては――帰れませんよね」
「残念ながら。ヒッチハイクも難しいでしょうね」
 この男はどうするつもりなのであろう。赤星はそれを訊こうと口を開きかけたが、それよりも先に庵が新たな質問をしてきた。最も訊かれたくないことを。
「お連れの方は、どうされました?」
「ああ、彼女ですか――」
 なんと答えよう。ちょっと用を足しに行きました――いつまでも戻ってこないのはおかしい。喧嘩して先に帰ってしまいました――帰る手段などないではないか。殺して棄てました――などと正直に言えるわけもない。
「赤星さんが寝ている間に、ひとりでどこかへ行かれた、とか」
 そう、それだ、それがいい。
 そういうことにしておいた。
「それはそれは。心配ですね。どこまで行ってしまったのでしょう」
 庵は振り返って村落のほうを見つめながら言った。
 赤星は、どうということもないふうを装い、
「よくあるんですよ。あいつ、ひとりでふらつくのが好きなんです。こんな廃村なんて、滅多に来れるとこじゃないですからね。珍しいんでしょう」
 そう説明した。
 庵は相変わらず遠くを見ながら、穏やかに喋る。
「そうですか。道に迷っていないといいですね。――用水路なんかに落ちたりでもしたら大変だ」
 赤星の全身が緊張した。
「あそこ、案外深いんですよ。雨の影響でしょうけれど。おや、どうされました?」
「いや、別に――そうか、そうですね、危ないですね、それは」
 庵の思考が読めなかった。落ちつけ、落ちつけ、と赤星は心の中で唱え続けた。
「庵さん」
「なんでしょう」
「昨日はあれから、田んぼで撮影を?」
「ええ、そうです。とはいっても、収穫はゼロに近いですが。雨のおかげで水かさが増したうえに、水自体も濁ってしまいまして」
「そうですか。――用水路のほうは?」
「夜中にちょっと歩いてみましたが、さすがに懐中電灯ひとつでは心もとないですから、早急に切り上げましたよ」
「撮影は」
「おこなっていません。それが何か?」
「いえ」
 庵の言葉が正しければ、彼は知らないはずである。赤星が今最も知られたくないことを。
 用水路の水の中に沈められたもののことを。
「ところで、どうやってお帰りになるんです、庵さんは?」
 話を逸らそうと、赤星は問うた。
 庵は肩をすくめ、
「僕も帰れないんですよ」
「はあ?」
「明日にならないとね」
 そして口元を歪める。
「明日の早朝に、知人が車で迎えに来てくれる手はずになっているんです。それまで僕は撮影に専念ということで」
 それに同乗させてもらえば帰途につくことができる。だがそれは、もうひと晩ここで足止めを食う、ということでもある。しかも、庵と一緒に。危険だ。
「よかったらどうです? それで一緒に帰りませんか?」
 庵が、そう持ちかけてきた。ありがたいことではあるが、余計なお世話でもある。
「ふたり分なら席はありますよ」
「はあ、考えておきます。ありがとうございます」
 赤星は適当に答えておいた。
「そういえば庵さんって、どこに寝泊まりされてるんですか?」
 疑問に思ったので質問しておいた。今の話からして、彼は自動車を持っていないようだ。
 庵はさも当然であるように、
「廃屋ですよ」
 涼しい顔で解答した。

 ある農家の座敷にて。
 ズボンに埃をこびりつかせながら、赤星は庵と向かい合って座っていた。
 庵から分けてもらったサプリメントを頬張り、ミネラルウォーターで嚥下する。
 家の外は薄暗い。
 また、雨が降りだしたのである。
「昨日の話、ありましたよね」
 庵が語り始めた。
「水火水村の蛍の伝承」
 赤星は無言で頷いた。
「昨夜、思いついたんですよ。用水路の横を歩いているときに。こう解釈できるのではないかと」
 興味深げに赤星は庵を見た。
「水火水村の住人が消えた理由のひとつは、もしかすると――大量死、なのではないかと」
「大量――死?」
「ええ。たくさんの人間が一度に、あるいは短い期間のうちに亡くなった、ということです」
「それは」
 何を言おうとしているのであろう、この男は。
 水を飲むことも忘れ、赤星は聞き入る。
「もちろん、死亡の原因は判りません。手がかりが少なすぎますからね。インフルエンザなどの深刻な伝染病が流行ったのかもしれません。大規模な自然災害や事故が発生したのかもしれません。あるいは――大量虐殺があったのかもしれません」
「虐殺、ですか」
「無論、想像の域を出ません。ともかく、一度にほとんどの村人が死んでしまったのです」
「それで滅びたと」
「そうです」
 庵も水をひと口飲み込んだ。
「くだんの伝承が正しいとするならば、ですけどね」
「しかしそれでは」
 赤星は納得がいかない。
「蛍はどうなるんです? なんで蛍が出て来なきゃならないんですか?」
 そして、急に口をつぐんだ。どうして自分はこんなにも本気になって、庵の話につきあわなくてはならないのだろう。
 いや、自分でも解っている。赤星にはよく解っている。
「それはですね、赤星さん――」
 赤星には、庵がすでに感づいているということが解っているのだ。
「短期間のうちに大量の死体が出てしまった。そしてその死体は――水の中に葬られたのです」
 言うな。それ以上、言わないでくれ。
「どうして火葬にも土葬にもしなかったのか。これに関してもまったくの空想ですが、おそらく、できなかったのだろうと思われます」
「できなかった……」
「残された村人の数があまりにも少なく、労力が得られなかったというのもあるでしょうけれど、たぶん、死体は最初から水の中に沈んでしまっていたのでしょうね」
 どういうことだ。いや、いい。それ以上は、もう。
「地質学的にありうるのかどうかは知りませんが、湖の洪水というのは可能性がありそうです。溺死体は言うまでもなく水の中で作られるわけですから。あるいは――」
 庵の目が、赤星を射た。
「津山三十人殺しではありませんが、何者かが――集団かもしれませんね――村人を大量虐殺し、水田や用水路、湖などに棄てた」
 人を、殺して、水の中に、棄てた。
 赤星は、身体の震えを押さえつけることができなかった。

 

第12回

 

闇匣より出ずるもの 闇匣より出ずるもの
1,080円
Amazon