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無人の家で発見されなかった手記

──ある素人小説家の陳述

 ……前回の続き。
 クトゥルー神話と本格ミステリの両方がすきすきすーになってしまった若かりしころの僕は、その両方が融合された小説が読みたくなったけど見つからず、日本でも五本の指が入る、じゃなかった、五本の指に入る神話研究家のH氏に、電車の中での雑談ついでに尋ねたのでした。

 しばし悩まれた末のH氏の回答は、そういった小説は知らない、というものでした。
 国内や翻訳済の作品はもちろん未訳の小説でも、H氏が知る限り本格クトゥルーミステリは存在しない──というのが結論でした。
 H氏の知識と人柄に全面的な信頼を置いている僕は、H氏がご存じないイコールこの世に存在しないということだな! と、自らのモチベーションを高める方向に思考をシフトさせます。
 そうです。僕は決意しました。──「存在しないのなら自分で書いてやれ」

 正直に申しますと、この時点で、すでにある程度のプロットはできていました。しかし、前例があるとないとでは、創作意欲に天と地ほどの差が開きます。そして幸いなことに、どうやら前例はないらしい。
 では、僕がその第一号を創るのだ。

 そして書いたのが、原稿用紙換算枚数にしてちょうど100枚(のちに1枚分加筆)の、本格クトゥルーミステリ小説「ティンダロスの密室」でした。

 ミステリといえば密室、密室といえば〈ティンダロスの猟犬〉──ということで話を膨らませていった本作。〈ティンダロスの猟犬〉とは、どんな密室であっても、室内の角から姿を現して侵入することができるという、大人気の神話生物。ならば、対〈猟犬〉用に角が排除された部屋で、〈猟犬〉による密室殺人が発生したらどうなるか? どうすれば、そんな芸当が可能なのか?(もちろん、原作の方法は使わない)
 この作品は、某賞へ応募する機会を逸し、別の某賞で落選し、といった紆余曲折を経て、個人誌(同人誌)『闇匣より出ずるもの』のメインエピソードとして収録することになりました。一部の人に好評!(笑)
 気になる方はお買い求めください。今ならまだAmazonでご購入いただけます。

 この場を借りて、あらためて、H氏に御礼申し上げます。

「ティンダロスの密室」に関する他のエピソードに関しては、また機会があればそのうちに。
 次回からは、また若い時分のミステリ話に戻ります。

※H氏の発言内容に誤りがあった場合、僕の質問の仕方が悪かったか、僕の記憶違いであると考えられます。また、H氏が誰であるかというお問い合わせには、お答えしかねます。

 

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 クトゥルー神話本格ミステリの融合は可能だろうか。
 ということは、割と早い段階からボンヤリと考えていたように思います。

 ここで言う融合とは、本格ミステリの中に、雰囲気づくりのために神話要素を盛りこんだものではありません。そういった作品であれば、いくつか目にする機会がありました。本邦初の神話小説とも言われる高木彬光「邪教の神」など、まさにそうですよね。
 僕が考えていたのは、クトゥルー神話のアイテム(怪物でも邪神でも魔道書でもその他アーティファクトでも)がトリックに深く関わり(トリックを構成する要素となり)、作品のプロットやテーマとも密接につながっており、なおかつ、手掛かりがフェアに提示されているもの、といったところになります。言い換えれば、本格ミステリとして成立するために、クトゥルー神話である必要性が見られる作品。クトゥルー神話小説としても本格ミステリ小説としても、読者が納得できる作品。実在すれば、まさに本格クトゥルーミステリとでも呼べそうな代物ではないかと。
 しかし、色々と神話作品を濫読しましたが、こういった物語にはなかなか出会えません。あまりお金もなかったので、充分に書物を揃えられなかった背景もあるにはあるのですが。話は逸れますが、当時、神話関連書を古本屋で見つけて入手したりすると、魔道書を手に入れた小説内の登場人物のような心地でした。

 さて、時間はだいぶ経過しまして、僕がミステリ短篇で活字デビューをするかしないか、したかしてなかったか、ぐらいのころ。
 確か小田急線の車両内だったと思いますが、日本でも有数のクトゥルー神話研究家の方と立ち話をする機会がありました(その方と、某スコッチバーへ呑みに行く途中だった気がします。僕はマッカランが好きでした)。
 記憶に曖昧な部分もあり、僕が氏の発言を無意識に歪曲してしまう危険性もあり、何よりもご本人の許可を得ていないため、仮にH氏とお呼びします。苗字のイニシアルがHというわけではありません。エロい人というわけでもありません。
 これは好機と思い、H氏に、上記のような本格クトゥルーミステリっぽい作品は存在するだろうか? と質問を投げかけてみたのです。

 そして話は次回に続く……。

 

 

 

 

 新本格ミステリばかり読んでいましたが、では遡って古典ミステリは読まなかったのか、と問われたら──すみません、あまり読んでません。
 いや、クリスティとかクイーンとかドイルとかカーとか、他にも何人か、拾い読みはしたのですけどね。クリスティは全体的によかったし、クイーンも『Yの悲劇』は(途中で犯人が判ってしまったけど、それゆえに)恐ろしくも面白かったし。
 どうも、新本格に比べてあまり楽しめる作品に出会えてなく、そのうち読まなくなってしまったんですよね。新本格が次々に量産されるから、古典にまで手が回らないという事情もありました。

 古典も新作もそこそこ読んでいる、僕の(比較的)得意分野であるところのクトゥルー神話に関して言えば、やはり古典は読んでおくべきだよなあ、とは思います。古典の知識を踏まえたうえで、新たに書かれた作品を読むと、絶対に面白さは増す気がするんです。
 これは小説を書く人にとっては尚更で、古典を読まずに神話作品を書くというのは、なかなか大変な作業なのではないでしょうか。そういった経験がないので、想像するしかないのですが……。

 ──いや、神話作品でなければ、経験はありますね。ミステリです。

 前述のとおり、まったく読んでいないわけではないのですが、せいぜい両手足の指で数えられるぐらいの冊数だと、ミステリを書くのは結構しんどいです。やはり古典は基本の形式が詰まっていますし、真似をしてはいけない前例や、逆にアレンジが効く前例といった知識の宝庫でもあります。
 新本格の影響で、何作かミステリを書いてみましたが、いや、本当に難しい。こんなのを高クォリティで量産しているプロ作家は本当に凄い。そりゃあ、お金稼げますわ。

 僕のミステリ苦労話は、またそのうちに。

 

 

 

 

 十角館と出会ってからというもの、新本格ミステリばかり読みまくるという、なかなか不健全な学生生活を送っておりました。
 綾辻行人さんはもちろん、歌野晶午さん、法月綸太郎さん、有栖川有栖さん、我孫子武丸さん、麻耶雄嵩さん、等々。まあ、どれもこれも面白かったですね。
 小説って、平易な文章とか表現で全然オッケーなんだ! ということに気づいたのも、新本格ミステリに夢中になっていたころ。ユーモアミステリとかって、本当に軽い文章ですからね。
 いや、それ以前にもジュヴナイルなどで平易な文章は読んではいたんですけどね……。

 当時(今でもですが)、特に好みの作家だったのは、麻耶さんと歌野さん
 

 麻耶さんは最初の『翼ある闇』はイマイチかなと思ったのですが(後年再読して評価を改めましたが)、2作目の『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』が、まあビックリするぐらいの傑作で、ミステリってのはこんなこともできるのか! と文学としての可能性の広大さに感心させられたものです。以降も銘探偵メルカトル鮎シリーズを中心に、麻耶さんの本なら文庫化を待たずにハードカバーでも買い続ける(貧乏なのに)、ということをしてました。
 

 そして歌野さんは、デビュー作『長い家の殺人』や次の『白い家の殺人』は、まあまあかなーと思った程度でしたが、3作目の『動く家の殺人』で、こりゃ面白いや! となり、以後、新刊が出るごとに着実に前作を超えてきているというプロの仕事ぶりに感心させられたものです。『ROMMY そして歌声が残った』とか『ブードゥー・チャイルド』とか痺れましたし、短篇だと『放浪探偵と七つの殺人』がクォリティ高くて大好きですね。
(どうでもいいことですが、文庫化のさいに改題された『ROMMY 越境者の夢』より、『ROMMY そして歌声が残った』のほうが素敵だと思う)

 と、比較的初期から追いかけ続けたお二方ですが、のちに、推理作家協会賞やら本格ミステリ大賞やら本格ミステリ・ベスト10の1位やらを受賞されたりもして、ファンとして嬉しくなったりもしたのでした。

 

 

 

 

 クトゥルー神話とか伝奇アクションとかばーっかり読んでた僕ですが、やがてミステリと出会います。

 少年時代も乱歩のジュヴナイルやら推理クイズ本やらに夢中になったり、クリスティを拾い読みしたりはしていたのですが、本格的に読み始めたのは、大学に入ってからでした。
 きっかけは、何かのテレビ番組に綾辻行人さんが出演されていたこと。深夜番組だったと思いますが、なんだったかな……。
 そこで、綾辻さんの著書も何冊か紹介されていて、とはいえ、内容についてはまったく触れられていなかったのですが、画面に映った表紙とタイトルに興味を抱いて購入してみたのが『十角館の殺人』──。

 まあ、今さら僕ごときが言うまでもない傑作ですよね。もともとクリスティの『そして誰もいなくなった』は好きでして、その本歌取りとも言うべき展開自体かなりワクワクして楽しめたのですが、それにしてもあの真相たるや……それまでこういった手法に触れたことがなかったものですから、まさに天地がひっくり返る衝撃を受けました。
 そしてすっかりミステリの毒気に酔いしれてしまい、いわゆる〈新本格〉と呼ばれるものを読み漁る日々がスタートしたわけです。