最近、「心理的安全性」という言葉をよく聞きます。 

 

わからないことを「わかりません」と言える。 

ミスをした時に隠さず報告できる。 

上司と違う意見でも、「私はこう思います」と言える。 

困った時に「助けてください」と言える。 

 

そんなふうに、 

「自分を出しても大丈夫」と思える状態が、心理的安全性なのだと思います。 

 

反対に、 

「こんなことを言ったら怒られる」 

「意見を言ったら馬鹿にされる」 

「ミスしたら責められる」 

 

と思っていると、 

だんだん「黙っていた方が安全」になってしまいます。 

 

ただ、今は今で難しい。 

 

例えば、写真を撮る時に上司が部下の肩に触れた。 

 

上司は単に 

「みんなで寄って写真を撮ろう」 

くらいのつもりだったかもしれません。 

 

でも、触られた側は 

「不快だった」 

と感じるかもしれない。 

 

あるいは上司が、 

「こんなことも知らないの?」 

と言った。 

 

上司としては指導のつもりでも、 

言われた側は「馬鹿にされた」と感じることがあります。 

 

同じ出来事でも、受け取り方は人によって違います。 

 

では、相手を傷つけないために何も言わなければいいのでしょうか。 

 

上司は部下を注意しない。 

親は子どもに何も言わない。 

夫婦でも本音を言わない。 

 

それも違うと思うのです。 

 

 

そこで必要なのが「対話」なのだと思います。 

 

まず、何が起きたのかという事実を見る。 

 

次に、 

「私はこう感じた」 

「私はこういうつもりだった」 

と、お互いの受け取り方を言葉にする。 

 

すると、 

「ああ、ここにズレがあったんだ」 

ということが見えてきます。 

 

そして最後に、 

「じゃあ、次からどうしようか」 

を一緒に考える。 

 

 

事実 

↓ 

それぞれの受け取り方 

↓ 

ズレを確認する 

↓ 

これからどうするかを決める 

 

 

心理的安全性とは、 

誰も不快にならないことではないのかもしれません。 

 

人と人が関わっていれば、 

意見が違うこともあるし、 

不快になることだってあります。 

 

大切なのは、 

「私はこう感じた」 

「あなたはどう思った?」 

と話せること。 

 

そして、意見が違っても対話を続けられること。 

 

職場でも、家庭でも、子どもとの関係でも。 

 

これからますます必要になるのは、 

「正しいことを言う力」だけではなく、 

違う考えを持つ人同士が、対話できる力なのではないかと思っています。

 

 

 

 

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野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。