お盆を迎えました。 

 

昨年、義母が亡くなり、今年は一周忌。 

以前よりも「死」というものを身近に感じるようになりました。 

 

医師として30年以上、多くの方の死にも触れてきました。 

 

先週まで元気だった方が突然亡くなることもあれば、長い闘病の末に亡くなる方もいます。 

 

私たちは誰もが、 

「人はいつか死ぬ」 

と知っています。 

 

でも、自分にも必ずその日が来ることを、本当に意識して生きているでしょうか。 

 

 

私は死について考える中で、あることに気づきました。 

 

死を見つめることは、暗いことではなく、 

「私はどう生きたいのか」 

を考えることなのだ、と。 

 

明日も生きている。 

来年も生きている。 

 

私たちは、どこかでそう思っています。 

 

でも、本当は誰にも分かりません。 

 

だからこそ、 

 

会いたい人に会う。 

伝えたい「ありがとう」を伝える。 

謝りたいことがあれば謝る。 

やりたいことを、いつかに先延ばししない。 

 

そんな小さなことが、とても大切なのだと思います。 

 

そして最近、もう一つ気づいたことがあります。 

 

悲しみや苦しみが出てくると、 

「早く消したい」 

「もう感じたくない」 

と思っていました。 

 

でも、 

 

悲しい。 

寂しい。 

苦しい。

悔しい。 

 

そんな感情も、生きているからこそ味わえるものです。 

 

無理に消さなくてもいい。 

 

「今、私は悲しいんだな」 

「寂しいんだな」 

 

と、その感情を感じることもまた、生きることなのだと思うようになりました。 

 

嬉しいことだけが人生ではありません。 

 

喜びも、悲しみも、出会いも、別れも。 

そのすべてを体験しながら、私たちは生きています。 

 

お盆は、亡くなった方やご先祖さまを思う時間。 

 

同時に、 

 

「今、生きている私は、この命をどう生きたいのだろう?」 

 

と自分に問いかける時間でもあるのかもしれません。 

 

死を見つめることで、 

今という時間が、少し違って見えてきます。 

 

あなたは今、誰に何を伝えたいですか?

 

 

 

 

 

 



野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。