性的不快体験。
これは正式な医学用語ではありません。
けれど、その言葉の通り、 「性にまつわる不快な体験」のことです。
性的虐待のような明らかな被害だけではありません。
痴漢、セクハラ、性的なからかい、身体への無遠慮な言葉、視線、冗談、距離感の近さ。
その場では笑って流したけれど、本当は嫌だったこと。
大ごとにするほどではないと思って、心の奥にしまってきたこと。
そうしたものも、私は「性的不快体験」と呼んでいいのではないかと思っています。
昨日、渡邉有優美さんのオープンチャットで、下間都代子さんがゲストに来られ、お話をしてくださいました。
そのお話を聴きながら、私自身にも、大きな被害と呼ぶほどではないけれど、忘れていた体験があることを思い出しました。
数年前、女性だけの集まりで、性的不快な体験について話す機会がありました。
その時思い出したのが、小学4年生の頃のことです。
当時、古新聞回収の車が地域を巡回していて、家にたまった新聞を引き取りに来てもらったことがありました。
私は新聞の束を渡しました。
すると、そのおじさんが 「新聞じゃ儲からないんだよね」 と言ったあと、 「こっちの方がいいんだよ」 と言いながら、私の股間に手を当てるような仕草をしたのです。
実際に触れられたわけではありません。
何かをされたわけでもありません。
一見すると、何でもないようなこと。
小さな小さな出来事のように思えます。
私自身も、その時までは気にも留めず、忘れていました。
けれど、その話をしている時、身体がわなわなと震えていたのです。
その時になって、初めて気づきました。
私は怒っていたんだ。
あの時、本当はものすごく嫌だったんだ。
小さな女の子だった私は、怖かったんだ。
気持ち悪かったんだ。
尊重されなかったことに、身体はちゃんと反応していたんだ。
頭では忘れていたつもりでも、身体は覚えていました。
女性であれば、こうした性的不快体験を、何らかの形で持っている人は少なくないのではないかと思います。
それが大きな被害だったかどうか。
誰かに説明できるほどの出来事だったかどうか。
証明できるかどうか。
私は、それは問題ではないと思っています。
大切なのは、 その時、自分の身体がどう感じたか。
自分の心がどう反応したか。
そして、その感覚をなかったことにしてこなかったか。
大きさは関係ありません。
「このくらい大したことない」
「私が気にしすぎ」
「被害というほどではない」
そうやって片づけてきた小さな違和感が、 自分への不信感、自己嫌悪、自己否定につながってしまうことがあります。
でも、それはあなたのせいではありません。
あなたが悪かったのではありません。
どうか、
自分を責めないでください。
自分を卑下しないでください。
あなたの身体が感じた不快感は、間違っていません。
あなたの怒りも、怖さも、嫌悪感も、ちゃんと意味があったのです。
どうか、自分を大切にしてください。
自分の感覚を信じてください。
そして少しずつでいいから、自分の身体を、もう一度、自分の味方にしてあげてください。
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